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「ハモ」でひも解く美食と地質学の深い関係

巽好幸

マグマ学者
Yoshiyuki Tatsumi

第8回のゲストは「美食地質学」を提唱するマグマ学者の巽好幸(たつみよしゆき)さんです。

何億年もの時間をかけて起こるマグマやプレートといった地球のダイナミックな動きが、実は、私たちの「食文化」にも大きな影響を与えている。そんな思いもよらない大きな視点から、「日本の自然と食文化」の豊かさについて教えていただきました。

プロフィール

1954年大阪府生まれ。専門はマグマ学。1978年、京都大学理学部卒業。1983年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。京都大学総合人間学部・大学院理学研究科教授、東京大学海洋研究所教授、独立行政法人海洋研究開発機構プログラムディレクターを経て、2012年より神戸大学大学院理学研究科教授、海洋底探査センター長、高等研究院海共生研究アライアンス長、学長特別顧問を歴任。現在はジオリブ研究所所長、神戸大学名誉教授。2003年に日本地質学会賞、2011年に 日本火山学会賞、2012年に米国地球物理学連合(AGU)ボーエン賞を受賞。『地球の中心で何が起こっているのか』(幻冬舎新書)、『なぜ地球だけに陸と海があるのか』『和食はなぜ美味しい―日本列島の贈り物』(ともに岩波書店)、『地震と噴火は必ず起こる』(新潮選書)など著書多数。

CONTENTS

・巽さんが提唱する「美食地質学」とは?
・ハモをテーマに食文化を紐解いてみると…
・「変動帯」に生きる日本人が意識すべきこと

巽さんが提唱する「美食地質学」とは?

編集部 ズバリ、「美食地質学」とはどんなものなのですか?
巽さん(以下敬称略) 料理をいただくときに、「豊かな自然に育まれたものです」という言葉、よく耳にしませんか? でも、この「豊かな」って非常に曖昧な言葉だと思うんです。
編集部 たしかに、「豊かな自然」ってよく聞きますし、使ってしまいすね。
豊かな自然というものは、世界中どこにでもあるわけですよね。では、なぜこの食材がその地域に生育、存在しているのかというと、その場所がどんな地球変動の影響を受け、どんな地形、地質なのかという「地質学」の観点から読み解くことができるんです。それをきちんと理解し、食文化を掘り下げ、将来に向けてもっと発展させていくための視点、視座が「美食地質学」です。
編集部 具体的にはどういうことなのでしょう。
ご存知のように、日本列島は数億年をかけた複雑なプレートの動きによって生まれたものです。プレートとは地球の最も外側にある層で、茹で卵に例えると殻の部分と思ってください。日本列島の周辺には4枚のプレートがひしめきあっていて、これらが、ぶつかり合って隆起したり沈降して、火山活動や地震を引き起こしたりしています。 各地でとれる食材やそれを活かした郷土料理などは、そんな太古からの「変動現象」から生まれているといっても過言ではないんです。
提供/特定非営利活動法人 土砂災害防止広報センター

一番簡単な例でいうと、和食の基本である出汁(だし)。よく言われるのが、「日本は軟水だから」出汁文化が発達したという話。硬水だとカルシウムなどの作用で昆布のうまみ成分が溶け出しにくくなるから、というものです。でも、そもそもなぜ日本が軟水なのか、知っていますか。
編集部 軟水の理由は考えたこともなかったです。
大陸では大平原を川がゆっくりと時間をかけて流れるので、地盤のカルシウムやマグネシウムなどが水に溶け出して硬水となります。一方、日本は国土が山がちだから川は急峻な流れで距離も短い。降った雨がすぐ流れてしまう。だから軟水になり、日本の出汁文化につながっているんです。
提供/特定非営利活動法人 土砂災害防止広報センター
編集部 日本の出汁文化の背景に、地質的な理由があったんですね。
日本酒も同様です。酒造りの一番のキーは、麹菌がきちっと働き、米を糖化する作業。その麹菌が一番嫌いなのが鉄分で、鉄分があると麹菌が働かないんです。日本列島をみてみますと、面積の半分程度は花崗岩由来の地質。花崗岩は鉄分がほとんど入っていないので、伏流水も鉄分に乏しく、日本酒文化が発達したのです。日本に花崗岩が多い理由はプレートの沈み込みに関係してくるのですが、そういうところにまで遡って理解していこうというのが美食地質学の根幹にあります。
編集部 非常に興味深いお話です。そもそも巽さんはなぜ、「美食地質学」を提唱するようになったんですか?
もともと私は「飲む、食う」ことが好きなので(笑)。自分の好きな「食」が、専門である地球科学と繋がっていることは想像していましたが、掘り下げていくと非常に密接で素敵な関係があることがわかってきました。詳しくは 『和食はなぜ美味しい―日本列島の贈り物』という書籍をご覧ください。

『和食はなぜ美味しい―日本列島の贈り物』

おでん、ブリしゃぶ、松茸の土瓶蒸し…。出汁文化はどうして生まれた? 私たち日本人は、地震や火山噴火などのとてつもない試練を日本列島から与えられてきました。そして、これからも与えられつづける運命にあります。しかし同時に、数えきれないほどの恩恵も授かっています。その一つが「和の食」といえるでしょう。

ただ、美食地質学は決して「食」のことだけを明らかにするのが目的ではありません。地球は46億年前に誕生して以来いろいろな変動現象を繰り返し、今の姿があります。なかでも、日本列島は世界でも稀にみる複雑なプレート運動によって、ダイナミックな変動が一番起きてきた場所。今、温暖化をはじめ、地球規模でさまざまな課題が浮き彫りになっていますが、「おいしいよね」の背景にある地質学的な理由や意味を知り、未来について考える、そういうところまで話が広がればいいなと思って活動しています。

ハモをテーマに紐解いてみると…

編集部 さて、今回は京都の夏の風物詩であるハモ料理について、「美食地質学」の観点から考察をお願いしたいと思っています。さっそくですが、ハモは夏が旬の時期なんですよね?
昔は、夏はほかに魚があまりないですし、いたみやすい時期ゆえに、鮮度の高い魚を京都に送ることが難しかったんですね。その点、ハモは陸上でも丸一日程度は生きられる強い生命力があるので、交通が整っていない時代でも京都の中心地まで生きたまま運べました。だから、生命力の象徴として夏にハモを食べる文化が醸成されてきたようです。 しかし「夏のハモ」というのは、実はつくられた旬なんです。多くの魚介類がそうなのですが、実は脂がのっておいしくなり、食べごろになるのは寒くなった冬なんです。
編集部 なんと! 夏にしか店に鱧が並ばないので、冬はとれないのかと思っていました。
夏はさっぱり食べるのに向いていますが、冬は脂がたっぷりのったものを鍋にして食べます。これも絶品ですよ。
編集部 冬のハモも食べないとですね! さて、今日は目の前に工夫を凝らしたハモ料理が並んでいます。巽先生と一緒にいただきながらお話をすすめます。ハモは身に細かく包丁が入っているのが特徴ですね。
鱧の落とし
鱧の炙り
ハモは小骨が多く、そのまま食べるには不向きなんですよ。で、どうするかというと、1寸(約3cm)に24回包丁を入れて小骨を断ち切るんです。
編集部 24回も入れるんですね! 小骨の存在はまったく感じません。ちょうどこちらにハモの分かりやすいさばき方の動画がありますのでご紹介します。 ※提供「日本さばけるプロジェクト さばけるチャンネル」3:52ごろからハモの骨切りの様子をご覧いただけます。
繊細な包丁さばきですね。料理人の腕が光ります。 さて、ハモってどういう生態をしているかご存知ですか?  もちろん泳ぎはしますが、海底に穴を掘り、そこから顔を出して暮らしているんです。「ハモの巣」と呼ばれるその穴は、泥の多いところにつくられます。硬い海底や、砂がちの場所だと穴を掘れないからです。 関西でいうと、昔は大阪湾のあたり、今は徳島の沖合い、淡路島の南にある沼島の近海が上物のハモの産地です。ここの海底は泥が多い地層。この泥をつくっているのが、三波川変成岩と呼ばれるものです。「泥がちな変成岩」がここにある、ということがまず美食地質学的には押さえておくべきところです。そして、変成岩は1億年ぐらい前に地表に上がってきたといわれています。
編集部 1億年前に地表に上がってきた?
日本列島の下にある大陸プレートの下に、海洋プレートが沈み込むなかで、堆積物や砂、泥などが一緒に引きずり込まれていきます。これが深いところまでいくと、高温で圧縮された状態となり、簡単にいうとペラペラの石になるんです。それらがあるタイミングで地表に絞り出されたものが変成岩で、これが海底では崩れて泥になりやすく、現在のハモの巣が形成される場所のもとになっているんです。
編集部 ハモから1億年前が想起できているのがすごいです。なんで海の中に泥があるのかさえ考えたこともないです…。
ハモだけではありません。日本列島の魚種の多様性も説明できます。要因はいくつかあり、寒流と暖流が流れていること、中緯度であることが挙げられますが、さらに日本列島が「変動帯※」であることが関わっています。

※変動帯 プレート境界沿いにみられる、地殻変動などが活発な帯状の地帯

また、魚種の多様性に大きく貢献しているのが、東京湾や瀬戸内海などの内海(うちうみ)。日本最大の内海である瀬戸内海に関していえば、フィリピン海プレートの沈み込みで隆起域(瀬戸)と沈降域(灘)を繰り返す地形となり、そのために潮の流れが速くなり、「天然の生簀」と呼ばれるほど多様で豊富な海域となりました。日本の「豊かな自然」の背景には、活発な地殻変動が大きく影響しているんです。
編集部 「豊かな自然」って、今まで表面的な意味しか理解できてなかったです。今後は、海の幸をいただく時にどんな海で育ったのか、そして、その土台にある海底火山やプレートのことが気になってきますね。
その背景に地球のダイナミックな動きがあることをお伝えしたかったんです。自然の違いとともに、自然の違いによってもたらされる「人間性の違い」というものが、料理や食文化の根幹にあると思っていますし、食事を味わって「おいしいね」だけでなく、もっと奥深いところにまで目を向けられればと思っています。

「変動帯」に生きる日本人が意識すべきこと

編集部 ここまでのお話で、巽先生が探究されている「美食地質学」のおもしろさにびっくりしました。
我々は日本列島の上で日本人として暮らしてきて、そのなかで和食を育んできたわけです。恩恵は和食をはじめとした食文化だけではありません。わかりやすい例だと、各地に点在する温泉もそうですし、有用な金属を含む黒鉱鉱床と呼ばれる鉱床もそう。調査によれば「金」の含有量は世界一だとも。
編集部 食文化以外も、地形、地質からたくさんの恩恵を受けているのですね。
その一方で「試練」も与えられています。 これまで、数々の地震や火山の噴火などが日本列島を襲いました。災害が多い土地ゆえに、日本人には無常観や、それを美化する思想が一部にあるようにも思います。ただ、現代に生きる我々としては、まずは大きな自然災害が、今後も必ず発生するということを認識することが重要です。
編集部 試練に対し、日本人はどう対応すればいいのでしょう。
恩恵に感謝しつつ、変動帯の上に住む日本人全員で試練への対策を考えていくことが大事だと考えます。たとえば100年、1000年に一度の頻度でしか発生しない災害だからといって、放っておくのは間違い。ひとたび発生したら、未曾有の災害になる場合もあります。恩恵を享受するだけでなく、試練もしなやかに乗り越える術を考えることが、子々孫々のための我々の世代の責任だと思います。 これから日本が世界をリードできることとしては、「広い海」を持つことと、「変動帯」であることに関係するかもしれません。世界の海洋立国として、また地球上で最も地震と火山が密集し、地殻変動が激しい場所に生きる者として、できることはまだまだあります。
編集部 「ハモを食べる」ということから、こんなに深い話題までたどり着くと思っていませんでした! 現代を生きる私たちがいかに過去と密接につながっているか、そして過去に生かされているとも感じました。海の恩恵に感謝しつつ、次世代のために覚悟を持って試練と向き合っていかねば、と背筋が伸びる思いがしています。 豊かさの背景にある真の意味と価値を見出す「美食地質学」。その啓蒙活動を通して、日本人としてなすべき行動をも示唆する巽さんのお話から大きな刺激をいただきました。ありがとうございました。

   インタビュー/児浦 美和 Photo &Text / Yuki Inui

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