CONTENTS
・幼少期の無人島キャンプが海への憧れの原点
・漁師と本音で語らう中で芽生えた海への想い
・正直で骨太な報道を目指す密なコミュニケーション
・高校生の問題意識と県公募事業新設で見えた光
・希望が膨らむ三重の海次世代へのバトンをつなぐ
海に囲まれた日本には、
暮らしの中で育んできた海の食文化があります。
食を切り口に、海と人との関わりを創発し、
海を大切にする気持ちをはぐくむ連載。
知れば知るほどもっと海が大切になる。
小さいころから海に魅せられ水産学研究の道へ進んだ小野里さん。知人の漁師たちと語り合ううち、海の課題に気づき、現場に入り込んで様々な仕組みづくりやネットワークづくりに勤しんでいる。課題解決に真摯に向き合う姿勢には、新しい事業を起こす人へのヒントが詰まっている。
東京都生まれ。鳥羽磯部漁業協同組合戦略企画室長。三重県漁連などを経て現職。県漁連時代より、地域ブランド化や商品企画などを含む幅広い業務に携わる。この経験を活かし、2023年よりアイゴを地域特産品へと昇華させるプロジェクトに取り組み、県内外からの熱い支持を集めている。
CONTENTS
・幼少期の無人島キャンプが海への憧れの原点
・漁師と本音で語らう中で芽生えた海への想い
・正直で骨太な報道を目指す密なコミュニケーション
・高校生の問題意識と県公募事業新設で見えた光
・希望が膨らむ三重の海次世代へのバトンをつなぐ
東京で幼少期を過ごした後、海のない栃木県宇都宮市で育ちましたが、夏休みには親戚一同で無人島キャンプをするのが恒例でした。多い時で総勢20名ほどが集まり、そこでは子どもながらに「食料は自分で捕るしかない」と思い、海に潜って魚を捕るという貴重な経験を積みました。この頃から、漁協に許可を取るなど、海のルールを守る大切さが自然と身についたのだと思います。
また、一緒に無人島へ行っていた叔父は、当時、北海道大学水産学部の研究者でした。その縁で、同大学の研究室を訪れる機会にも恵まれていたんですね。そのような環境もあり、幼い頃から海は、私にとって身近で特別な存在となっていました。
その後、「地方の自然豊かな海で学びたい」という思いが強くなり、三重大学水産学部に進みます。進学後に通い始めたダイビングショップのオーナーの陽気でポジティブな人柄に魅了され、インストラクター業だけでなく調査潜水にも携わり、学生時代から三重の海に潜り続けてきました。1980年代後半には、すでに三重の海で磯焼けの現象が確認されていましたが、当時はまだ魚が獲れ、漁師たちも一定の収益を上げていたため、大きな問題には発展していませんでした。
その後、三重県漁業協同組合連合会に入り、漁業生産指導、地域ブランド化、商品企画、イベント運営、若手漁業者の育成、営業職など、さまざまな業務を精力的に行っていました。そんな中、2022年2月頃、壊滅的な海苔の不漁が発生。心配になり海苔漁師を訪ね、共に飲み明かしました。お酒を通じて生まれる対話と絆が、私のライフワークです。一緒に飲むことで、自分も心を開き、お互いに本音で話し合います。その夜、「力を貸してくれ」という漁師の言葉に背中を押され、鳥羽磯部漁業協同組合(漁協)の職員となりました。
漁協に入ってしばらくして立ち上げたプロジェクトは、藻場の海藻を食べてしまうアイゴなどの「植食性魚類」を価値ある食材へと昇華させるというもの。これらの魚は美味しくないイメージがあり、漁師さんにあまり水揚げされず、藻場はさらに減ってしまいます。そこで美味しく食べてもらいたいと考えたのです。
まず、採算が取れる最初の取引価格である浜値(はまね)を検証し、その価格で買い取る取り組みを開始。すると、漁師が鮮度を保った良質な状態で水揚げしてくれるようになり、丁寧かつスピーディーな加工によって、刺身でも食べられるほどの上等な原料の確保に成功しました。そのうえで、名前を伏せて試食してもらったところ、「非常においしい」という評価を得て、難航していた地元の飲食店でのメニュー開発に弾みがつきました。
こうした逆転の発想で進めたことが、成功につながったと感じています。さらに、地元メディアによる報道が事業の追い風となった点も、大きな力となりました。
メディアとの連携については、地道な努力を重ねてきました。普段からさまざまな方々と密に情報交換を行い、信頼関係を築くことを心掛けています。特に、日ごろから親交のあるディレクターや記者の方々とはマメに連絡を取り合い、プロジェクトの意図や想いを正確に伝えることができています。この信頼関係のおかげで、単なる情報発信にとどまらず、プロジェクトの核心に迫る骨太な報道が、子どもたちの学びの場や商品開発などの取り組みを円滑に進行させる一助となりました。
コミュニケーションをとる時に意識しているのは、華やかな面だけでなく、現場の困難や課題も含めて発信してもらうことです。表面的な魅力だけでなく、私たちの「泥臭い」部分や本音も含めて伝えることで、視聴者や読者に共感を持ってもらえると考えています。
そのため、プロジェクトの意図がうまく伝わらない可能性がある媒体の取材は、お断りすることもあります。正直で骨太な報道を通じて、ニュースを見た方々が自分事として捉え、行動を起こすきっかけを得られるような情報発信を私たちは大切にしています。
今回のプロジェクトでは、「次世代につなげる」という目標を掲げ、新渡戸文化高校と連携しました。新渡戸文化高校は東京の学校で、地域課題を学び、その解決に取り組むプログラムを展開しています。
また、地元の教育委員会とも協力し、小学校で出前授業を行ったり、高校生たちと課題を共有し、藻場の観察会や商品開発のワークショップなどを実施しました。その結果、生徒たちが自分たちの住む街に海洋問題が存在することを認識し、興味を持って積極的に取り組んでくれました。これにより、次世代への足掛かりが確実に築かれたと感じています。
さらに、令和6年度の県民提案型事業で1位に選出された「未利用食材(植食性魚類)を活用した「みえの食」魅力発信業務」は思わぬ波及効果でした。三重県全体での問題意識の高まりを感じる、非常にうれしい出来事でしたね。この事業は県民からの提案によって採用されたものですが、私たちや、これまで同志の仲間たちが取り組んできたことが、多くのメディアに取り上げられたおかげで、磯焼けや植食性魚類への関心が高まり、このような流れの一翼を担ったのではないかと嬉しく思っています。私たちの地道な取り組みが評価され、次のステップへの動きが自発的に生まれたことを実感し、より一層頑張ろうという勇気をもらいました。
解決しなければならない課題はまだ山積していますが、水産現場の視点から見ると、アイゴにはさらに多くの可能性が秘められています。新たな食べ方の提案や普及方法の工夫次第で、スズキやヒラメのような白身魚として扱われ、地域の特産品として大きく飛躍するポテンシャルを持っていると思っています。また、磯焼けの原因となる他の植食性魚類についても、アイゴだけではなく様々な魚類がいるので、新商品開発や新たなサービスへとつなげる必要があります。これらの課題に対し、官民一体となり、また同志たちと連携して、さらにプロジェクトを推進していきたいです。
高校生との連携についても、まだ発展途上だと感じています。高校生自身が成長をしていけるように、海の問題を「自分ごと」として捉え、次世代に自分たちの言葉で伝えていける仕組み作りが目標ですね。そのための海洋教育プログラムの構築は急務だと思っています。このプログラムが地域に根付き、持続的に発展していく自走型の仕組みを作ることを目指して、今後も精力的に取り組んでいきたいと考えています。
これからも、地に足をつけた活動を基盤に、一歩一歩着実に進んでいきたいと思っています。三重の海が持つ未来への希望を信じ、次世代へのバトンを確実につないでいくために挑戦を続けていくことが私たち「草食系おととの大変身プロジェクト」の目標です。