CONTENTS
・田舎大嫌い!都会に行く!大間を飛び出したのに
・朝ドラがきっかけでまちおこしゲリラ始動!
・大間はマグロの町!おもしろがる心で活動
・マグロ一強の危機感 未来へ希望の種を作りたい
・子どもたちが主役!アゲアゲ!アゲ魚っ子
・小中学校での特別授業 伝わっている手応えに感動
・故郷の海のことを 子ども達の自分事に
海に囲まれた日本には、
暮らしの中で育んできた海の食文化があります。
食を切り口に、海と人との関わりを創発し、
海を大切にする気持ちをはぐくむ連載。
知れば知るほどもっと海が大切になる。
東京・仙台で会社員として働いたのち、地元・大間にUターン。様々な町おこし活動を経て、マグロ一強の大間で白身魚にスポットをあてた新名物「大間アゲ魚っ子」を開発。飲食店や宿泊施設、小学校を巻きこみながら、町おこしの火付け役として走り続ける原動力と、未来の子どもたちへの思いを聞いた。
1965年、青森県・大間町生まれ。大間アゲ魚っ子キャンペーン責任者。企画・制作の仕事を経て、家業の製材工場を継ぐためUターン。様々な町おこし活動を経て、大間の海を次世代につなげる「大間アゲ魚っ子」キャンペーンを立ち上げ、運営している。
CONTENTS
・田舎大嫌い!都会に行く!大間を飛び出したのに
・朝ドラがきっかけでまちおこしゲリラ始動!
・大間はマグロの町!おもしろがる心で活動
・マグロ一強の危機感 未来へ希望の種を作りたい
・子どもたちが主役!アゲアゲ!アゲ魚っ子
・小中学校での特別授業 伝わっている手応えに感動
・故郷の海のことを 子ども達の自分事に
子どもの頃から、生まれた大間の田舎暮らしは貧しい、寒い、格好悪い、と劣等感があって。都会はお洒落でかっこいい、新しいものがいっぱい!と憧れていました。東京の大学に進学した時も、田舎は息苦しくて大嫌いだから都会に行く!という価値観でした。
実家はヒバの製材工場。二人姉妹の長女で、家業を継ぐのは自分だろうと思っていましたが、大学卒業後そのまま就職し東京や仙台で9年間会社勤めをしました。求人広告や情報誌の制作など、とにかく働き通し。「そろそろ帰ってくる歳じゃねが?」と父親に言われ、1998年に大間町にUターンしました。
いざ大間に戻ってみたら、田舎は素晴らしい!って(笑)。いろんな世代の人たちと関わる生活が、逆に新鮮で豊かだと気づいたんです。食材は買うものではなく、海や山から取ってくるもの。お裾分けの風習も面白かったですね。じいちゃん、ばあちゃんたちのたくましさにもエネルギーをもらいました。あんなに嫌っていたはずなのに、見える世界が大きく変化し、大間だからこそ、何かやれる!と確信しました。
大間町がドラマの舞台になったNHK連続テレビ小説『私の青空』(※1)を知っていますか?その頃「大間のマグロ」は食通の人たちだけにしか知られていませんでしたが、ヒロインの実家がマグロ漁師の一家で「大間のマグロ」がお茶の間に広く浸透。全国区の知名度を得ていきました。
実は放映直前になってもドラマと連動した町おこしやプロモーションなどの動きは特になくて。せっかくのチャンスなのにもったいないと、仲間と一緒に町おこしゲリラ集団「あおぞら組」を結成しました。夏の観光シーズンにフェリー客に大漁旗を振って「よーぐ来たのー!」と出迎える「旗振りウェルカム」や名物土産を狙った「マグロ一筋」の文字が入ったTシャツ、マグロのぼりを作ったり、活動を広げていきました。
当時、大間のマグロは全て築地市場に出荷されていて、大間にはマグロを食べる場所がなかったんです。朝ドラを観て来てくださった人たちの期待を裏切らないように、大間でマグロを食べられるようにしていこう!と取り組みました。地域みんなのモヤモヤした気持ちがピタッと重なり、漁師、漁協、商店、商工会などが一致団結。
今では大間でマグロを食べることが定着して、地元の人も「マグロの町」と胸を張って言えるようになっています。
2001年からは「大間やるど会」で「大間超マグロ祭り」の企画実行、2014年には「津軽海峡マグロ女子会」もスタート。「理屈こねる前にまんず動け」をモットーに、おもしろがる心を大事にしながら、大間を元気にするチャレンジを続けてきました。やりながら軌道修正を繰り返してきた20年間でしたね。
これまで町おこしのプレイヤーとして突っ走ってきましたが、還暦がもう目の前。それに従い、ふるさとを子どもたちや未来にしっかり繋げたいという思いが強くなってきました。
実は、マグロに依存する大間町を作ってしまった張本人は自分という思いがあって。2018年からはマグロが資源保護のための国際的な漁獲規制の対象(※2)になっていますし、マグロ以外の希望を作らないと未来がないという危機感が強くありました。
温暖化や海洋環境の変化でふるさとの海はどんどん失われ、子どもたちは海との接点がないまま成長してしまいます。私が子どもの頃の大間では町の8割が漁業従事者でしたが、漁師の数も減少してきました。
ですがやっぱり大間は漁師の町。漁師の心や、海で採れるもの、海の町らしさを誇りに思って生きていけるように、大間の心を繋いでいきたい!と思ったんです。
大間のプロジェクトでは「子どもたちが主役のムーブメント」を意識して、ノリ良く、楽しく、わかりやすく!を大切にしました。認知度が低く未利用魚として扱われてしまう白身魚を使った「アゲ魚っ子」を作り、海を思う子どもの輪を広げるキャンペーンのキャッチフレーズは「海の未来をみんなで“アゲアゲ”」。“アゲアゲ”ってもう死語かなと思いながら(笑)、アゲアゲポーズを考えて披露したら、子どもたちがおもしろがってアゲアゲ~って真似してくれて。
地元の子どもたちが笑顔で登場するポスターも好評で、町の温泉施設や飲食店、観光案内所などあらゆるところに貼っていただきました。子どもたちがスターみたいに露出していることで、見る人も元気になるんですね。子どもたち自身も、まんざらでもない感じなんですよ(笑)。
一方で、子ども向けに考案した白身のフライメニューは苦戦することばかりでした。作ったレシピが給食導入ルールに合わず、ゼロから作り直し。マグロ一辺倒の大間には揚げ物の加工場がないので加工調達にも奔走しました。でもその甲斐あってたくさんの地元飲食店がメニューを導入してくれました。
小中学生と一緒に特別授業をやるのは今回が初めて。学校に企画を持ち込み、総合学習や調理実習等の授業、給食時間への導入等、学校単位で取り組む「全校アクション」を実施。授業の内容や構成はイチから考え、動画や副教材なども作りました。特に学校給食がない大間町の小学校に食育を提供できたことは、とても好評でした。「全校アクション」は、その後下北半島全域に広がる活動に発展しました。
「海のまちの子なのにあんたら魚食べてないでしょ?海のこと知ってる?昔は“宝の海”と呼ばれていたけれど、今の海は困っているんだよ。あなたたちが行動を起こして解決していくんだよ!」ってお決まりのネタで落語みたいに喋ると(笑)、子どもたちがとっても真剣に聞いてくれて。授業後のアンケートに「僕たちが何かしないと変わらない!」なんて、涙が出そうなコメントを書いてくれるのです。子どもからの反応には、本当に元気をもらいました。
「何度でも聞きたい」と言ってくれる子もいて、子どもたちに伝わっているなという手応えがありました。プロジェクトに取り組む仲間たちも「子どものためにやるぞ」と結束が固くなり、楽しんでいました。
「故郷の海に対して何をしたい?」とアンケートで聞くと、9割の子どもが「海をきれいにしたい」と回答。海をかけがえのないものだと感じ、大事にしたいと思ってくれているんだと嬉しくなりました。子どもたち自身がやりたいことをちゃんとやらせてもらっている、という感覚をもてることが大事なので、出前授業には子どもからの回答を反映させています。ゴミを集めてそれを分析する体験プログラム「海洋ごみ調査隊」や、一匹の魚をひとりで捌いて食べるプログラムなどを実施しました。
魚を一切食べたことがない子が、揚げ魚が乗ったカレーをおかわりしてくれるのを見ると、「食」は強い共通言語だなと。誰にとってもわかりやすくて、うんちくの前に伝わるものがすごくありますから。
今後は自分たちの中にともった灯を消さないように、モチベーションを高めながら、さらに子どもたちに海のことを伝える活動をしていきたいと思います。そして一人でもふるさとの海を大切に思う「海の子」を増やしていきたいですね。
※1 2000年4月より放映
※2 海洋生物資源の保存及び管理に関する法律に基づき太平洋クロマグロが漁獲可能量管理対象種(第一種特定海洋生物資源)として指定され、法令に基づく数量管理が開始。