CONTENTS
・故郷・下関から世界へ育んだ感性と挑戦の軌跡
・社会貢献活動に熱心な母の姿に導かれて
・下関を出て気付いた宝 子どもが作る明るい未来
・トップからの発信で教育に新たな活力を
・「フグ」通じた教育を世界に発信したい
海に囲まれた日本には、
暮らしの中で育んできた海の食文化があります。
食を切り口に、海と人との関わりを創発し、
海を大切にする気持ちをはぐくむ連載。
知れば知るほどもっと海が大切になる。
下関で生まれた柳川さんの幼い頃の遊び場・学びの場だった唐戸市場。その唐戸市場にもっとたくさんの人が訪れてくれるように、『おいしいから海を知る』という活動をはじめたのが数年前。地元では幸福の”福”にかけて縁起物とされる”ふく”を通した活動の先に、柳川さんの描く明るい未来が広がっている。
山口県下関市生まれ。マーケティングや空間設計の会社を設立し、様々な企業とプロジェクトを実施。感性工学分野における五感の研究者でもある。2022年からは地元・唐戸市場を盛り上げるためフグを題材に、100年後の下関の海に想いを繋ぐことを目的に活動。
CONTENTS
・故郷・下関から世界へ育んだ感性と挑戦の軌跡
・社会貢献活動に熱心な母の姿に導かれて
・下関を出て気付いた宝 子どもが作る明るい未来
・トップからの発信で教育に新たな活力を
・「フグ」通じた教育を世界に発信したい
下関の仲買(水産物卸売)を営む家に生まれました。父の実家の柳川水産は、戦後間もない昭和25(1950)年に創業しています。母は東京の江戸前のすし屋の娘。そんな運命に導かれたのか、私自身もずっと魚と縁の深い生活ですね。
小学校の頃、私はバスケットボールに夢中でした。所属していたチームが非常に強く、先輩方は実業団に進むほどの実力者ぞろいです。6年生の時にスカウトを受け、何事もなく進めば、トントントンと進学し、さらには実業団へという道が見えていました。
しかし、ある人の「お前はバスケで日本一になれるけど、他は無理だろう」という言葉が、人生を大きく変える転機となります。「自分はまだ12歳なのに、私の人生が勝手に決められるの?」という、強い反骨心が芽生え、他に何ができることがないかを模索し始めました。
そして、15歳の時にオーストラリアに留学。国民性に魅せられ、高校卒業後にオーストラリアの大学、大学院に進学し、現地で就職も果たしました。帰国後はオーストラリア総領事館に勤務し、香りのマーケティングの仕事に携わることになります。そこで、人の心理を研究する感性工学に出会い、深く学ぶため再び大学院に入学。そこから、研究者や経営者の顔を持つようになりました。
母は典型的な江戸っ子で、おせっかいながらも明るく、人情味あふれる性格です。私が子どもの頃、専業主婦でしたが、いつも社会貢献活動に情熱を注いでいました。困った人を見つけると、「みんなで楽しく過ごせる場を作ろう」という思いから、積極的に動く人なんです。
柳川水産のお店がある唐戸市場では、女将さんたちが市場を盛り上げるために「おかみさん会」を結成し、母はその会長を務めています。コロナ禍では、親元を離れて暮らす大学生の食生活を支援する活動を、おかみさん会の仲間と共に進め、地域再生大賞を受賞しました。
また、唐戸市場が現在の場所に移転した2001年当時、地方市場の活気が失われつつある中、観光客誘致に向けておかみさん会は団結します。訪れた人がその場で新鮮なお刺身やお寿司を手ごろな価格で楽しめるよう、各商店が工夫を凝らしました。その結果、多くの人々が訪れるようになります。前例のない取り組みに、保健所と協議を重ねながら地道に整備を進めてきました。20年の努力を経て、唐戸市場は今や人気の観光地へと成長しています。
そんな母の姿を間近で見て育った私は、自然と「地元や社会に貢献する」という思いを受け継ぎ、自分らしい形でそれを実現していきたいと思うようになりました。
子どもの頃、唐戸市場は私にとって遊び場でした。市場の大人たちに魚や海についていろいろと質問し、飴をもらいながら、答えを教えてもらった思い出は、今でも鮮明に残っています。その体験を今の子どもたちにも届けたいと思い、”ふくおいちゃん”というキャラクターを作りました。
キャラクターのモデルは、下関唐戸魚市場(株)の元社長であり、下関ふく連盟元会長の松村久さんです。松村さんはフグの仲買人として長年活躍され、私の幼少期にも多くの知識を教えてくださった方です。松村さんとともに行う「フグ」をテーマにした授業では、子どもたちが活発に意見を発表し、学びを楽しむ姿が印象的でした。松村さんご自身も、退職後の新たな生きがいを感じていただけているようで、私もとても嬉しく思います。
私がプロジェクトの軸を教育に据えている理由は、子どもたちには無限の可能性があると信じているからです。海や環境といった課題は、大人が子どもに教えるものではなく、むしろ子どもたちが自分で考え、大人に伝えるものだと思っています。子どもが自分の課題として問題を捉え、子どもの言葉を通して大人がその課題に思いを寄せることで、自然と世代を超えたコミュニケーションが生まれます。そして、こうした動きが100年後の下関の海と未来を守る力になると信じています。
教育現場では新しいことに挑戦したくとも、多岐にわたる業務に追われ、なかなか着手できない状況にあります。そのため、現場での責任の所在を明らかにすることが、新しい取り組みを始める上で重要だと考えました。そして、新たに仕組みを作る際には、市長や教育長などのリーダーを巻き込み、トップから発信してもらうことで、大きく動き出すことがあります。リーダーの協力が得られることで、現場の先生方も安心して前例のないプロジェクトにも取り組むことができるのです。
下関では観光に多くの資金が投じられる一方で、教育への投資が少ないことが気がかりでした。地元で新たな教育の動きを起こすため、私は外からのアプローチするという方法を選びました。現在は東京に住んでいますが、高校まで下関で育ち、両親や姉夫婦が地元で商売をしているため、下関の状況を常に身近に感じています。この「距離感」が、地元の声に縛られすぎることなく、自由にチャレンジする力の源泉です。これからも地元の宝を次世代の子どもたちに繋ぎ、教育に新たな活力を吹き込む活動を続けていきたいと考えています。
私が研究している感性工学の”感性”という言葉は、適切な英語表現がなく、ローマ字で“Kansei”と表します。日常生活の中で、私たちは言葉以外の膨大な情報を受け取っていますが、言葉では伝わりにくいものほど、感性を通じて伝えるほうが効果的です。何かプロジェクトを進める際には「みんなの幸せってなんだろう?」ということを第一に考えた上で設計することが、感性の本質だと思っているんです。この”感性”の概念こそが、世界を平和に導く鍵だと信じています。
これまで、「みんなの幸せとは何か」をプロジェクトの根底に据え、推進してきました。今回、主軸に据えた子どもたちへの教育を通じて、下関の海や自然についての理解を深める取り組みを行いました。先生方からの感謝の言葉や、子どもたちの生き生きとした反応を受け、大きな手応えを感じています。
下関は歴史の転換点に何度も立ち会ってきた街です。平安時代末期の「壇ノ浦の戦い」や、幕末の「下関戦争」、さらには日清戦争の講和条約である「下関条約」など、多くの重要な出来事がこの地で起きました。これらの歴史を振り返ると、かつて戦いや争いの舞台であった下関が、今度は“平和”をテーマに新たな価値を発信できると信じています。
「フグ」を通じた教育活動を通して、下関から世界へと新たなメッセージを届けたい…。そんな大きな目標を掲げています。地道に活動を続けることで、次のアクションにつながる布石を打ち、地元から未来への変化を生み出していきたいですね。