海の食文化体系
2026

魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声

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魚はどのような食べ物になっているのか

時代と共に透明化していった、かつお節という食材

現場の声

大塚 麻衣子

鰹節コーディネーター
鰹節の荷受問屋「タイコウ」代表取締役かつお節目利き

時代と共に透明化していった、かつお節という食材

魚は、そのまま食べるもの——そう考えられがちだ。 だが、日本の食卓では、魚は必ずしも形のまま消費されてきたわけではない。 かつお節は、その代表的な存在だ。保存食として生まれ、流通とともに広がり、やがて出汁として料理に溶け込んでいく。 見えないまま使われることで日常に深く根付いた一方、そのかかわり方は変わりつつある。かつお節という食材の「使われ方」から、日本人の魚との関係を見ていく。

CONTENTS

  • 大漁の魚の保存する技術から始まったかつお節

  • 魚の形を失い、出汁として使われるかつお節の現在地
  • かつお節製造の現場で起きている変化と未来

大漁の魚の保存する技術から始まったかつお節

日本人が、どう魚を食してきたのか。「食べ方」に目を向けると、少し違う輪郭が浮かぶ。魚は、必ずしもそのままの形で食べられていない。その代表格が、かつお節だ。原型は「堅魚(カタウオ)」。大宝律令(701年/飛鳥時代)により、「堅魚」、「煮堅魚(ニカタウオ)、「堅魚煎汁(カツオイロリ)」が記録に残る。

「最初は単純な保存食ですよね。たくさん獲れたものを、どうやって冬に向けて備えておくのか。その季節にしか獲れない魚を、長く食べられるように加工する。でも、『古事記』に書かれているということは、日本人の食に馴染んでいて、献上できるくらいの品質で、ある程度は普及していたことになると思います。それが、時代と共に、保存性を高めよう、もっと美味しくするにはという工夫がされてきた。室町時代あたりには燻製の技法が生まれたのですが、どうしてそうなったのかは調べてもわかりません。おそらく、たまたまだと私は思っています」

さらに、当初は「煮て、干して固くなった魚ということなので、必ずしもカツオだけではなくて、この形の魚はこうなるらしいぞという分類が始まって、いまの形になったのかも」と、想像する。

節のままのかつお節の断面。うま味が凝縮された色合いが見てとれる

「かつお節は、歴史に仕上がりの経緯が少し残ってるんですよね。紀州の漁師・角屋甚太郎が技術を確立して土佐へ伝えたことまでも残っています。江戸時代、陸には関所がありましたが、海はそういったものはなかったので、漁師はあちこち横のつながりが強くて、海沿いに情報が広がっています」

だからこそ、日本は「出汁をとる」食文化になったのかと思いきや、深いかかわりがある存在であると肯定するも、やや懐疑的だ。

「もともとは、小刀で切り取れるくらいの硬さだったので、厚削りみたいな感じで、煮て具材を食べるような形だったんですね。それが江戸時代のごろからいまに近い形になったので、最初はあくまで美味しい出汁も出てくる食材みたいな立ち位置で、乾物のひとつとして考えられていました。かつお節はひとつの要因ではありますが、それがあったから日本食が発展したという見方は、近現代になってからのものです」

江戸時代、大阪が“天下の台所”になり、日本中から食材が集まった。大塚さんの話を聞くと、どうやらそこがかつお節の出汁文化の転換期のようだ。

「大阪には、北から昆布、南を中心に全国からかつお節が集まってきました。天皇家に献上されるような上質なものまで入ってくる土地だったんですね。裕福な商人が多く、高級品だった真昆布でぜいたくに濃い出汁をひいて使えていたのが大阪で、豊かさの象徴でもありました。江戸は武家の町で、武士はゲン担ぎを大事にしていたので、当て字の“勝男武士”が好まれて、かつお節もよく使われていました。また、武士は体を鍛えるために汗をかくことが多く、西よりも濃い味が求められたことから、昆布よりもかつお節の方が好まれた、という状況もありましたね」

戦後の復興から豊かになる過程で、日本料理人のメディアでの活躍により、かつお節と昆布で出汁をひくことが日本全国に広まった。

「時代として、ハレの日の料理を求めていた時に、真面目な日本人は、『プロが言うのならそれが一番良い出汁だ』という認識を刷り込まれたのではないか、と考えます」

魚の形を失い、出汁として使われるかつお節の現在地

出汁は本来、地域性が高いものであった。知られたところでは、九州のアゴ出汁(トビウオ)があるが、ほかにも熊本のエビ、小田原のアジなど、その土地で獲れた魚介類を加工して使っていたのだ。

「全国的には煮干しが多いですね。四国を例にしても、高知はかつお節ですが、愛媛県や香川県では煮干です。山間部でも煮干は出汁としても、おせち料理の田作り(ごまめ)で分かるように肥料としても使っていました。ただ、煮干しだと魚のクセが出ますし、サバやムロアジでは別の味わいが出てしまう。比較的、安定した味になりやすいという点でも昆布、そしてかつお節は一番使いやすいと思います」

こうしてかつお節は、味噌汁や鍋物、煮物などの出汁として使われ、冷奴やおひたしの上にのせるという、日本らしい料理に欠かせなくなった。ただ、消費者に届く時は、魚の原型を留めておらず、うま味を料理に提供する存在。その“見えなさ”は、現在、別の問題につながり始めている。

「削り節のパックを買う方がほとんどだと思います。家庭で節から削ることは、ほとんどありませんよね」

スーパーでは、出汁用、ソフトタイプ、小分けパックなど多種多様なかつお節が売られ、節を削るひと手間は省略できる。昨今は、渋谷や新宿には削りたてのかつお節を提供する専門店も登場。削りたてのフワフワのかつお節がごはんの上にどっさり、熱に踊る様はもはやパフォーマンス料理で、インフルエンサーの格好の素材になっている。

タイコウの工場内で削り節は、酸化をしないようすぐに窒素ガスを充填して袋詰めされる

「出汁は顆粒を使う家庭も増えていますよね。以前、出汁教室を開催した時に、かつお節と顆粒の出汁を並べて、ブラインドでどちらが美味しいかテストをしたんです。自分で出汁をひいてる、食べることやもの意識を向けている方は、かつお節の出汁を選ばれていることが多いです。ただ、家庭がずっと顆粒を使われていた、自分で出汁をひく経験が少ないと、顆粒の方を好まれる傾向が強いです」

かつお節の節ものを見たことがない、かつお節を削る経験がない、パック詰めの商品しか見たことがない。味噌汁や鍋物にすでに含まれているものとして、意識する機会は減っていく。

「削り方によって味が変わる、どれくらいの時間で煮出すのかとか、そういうところを試す機会は、やっぱり少なくなっていると思います」

出汁は“見えない”まま、日本人の食に広がり深く根付いた。老舗が紙コップ1杯分を店頭で販売する、洋風にアレンジしたかつお出汁に特化した飲食店がランチに行列を作る、自販機で缶飲料として売られる。出汁そのものは世代を問わず好む。

一方、便利な商品となった現在、かつお節の製造工程や自分で出汁をひくことの関心を遠ざける側面も持っている。この状態が続いた先に、どのような変化が起きているのか。影響は食卓の外側、生産の現場にも及び始めている。

かつお節製造の現場で起きている変化と未来

かつお節は、原料のカツオが水揚げされてから長い時間をかけて作られる。カツオをさばき、煮て、燻煙に長い期間あてて荒節にする。その後、本枯節は表面のタール成分を削り、カビ付けと天日干しを幾度も繰り返す。カビに脂肪分を分解、水分を吸収・蒸発させ、うま味を凝縮していくのだ。

「工程はシンプルなのですが、、状態を見ながら調整していく必要があります。魚の状態を見て煮る温度や具合を変えるのは、蓄積したデータによって出来上がるもの。かつお節作りは技術職なんです」

その技術の継承がいま、危機に直面している。

「現在の生産現場は9割が外国人技能実習生という状況。彼らは数年で帰国するので、技術の蓄積ができなくなりました。日本語も英語も通じない人が増えているため、細かい作業を伝えることが難しく全体的に製造レベルが落ちています。マニュアルで誰でもできる作業範囲しかできなくなり、かつお節の品質は下がり、原料も獲れなくなり、生産者も減っている。軒数はこの20数年で二分の一以下まで減り、産業として厳しい状況です」

生産者から仕入れた後、卸先の料理に合わせて節を選んで成熟。
消費者に届くまで、何人もの職人による技術が介在している

近海一本釣りカツオの“特性を活かした”かつお節作りができる生産者は、「片手もいないかもしれません。2024年には一本釣りのカツオが少なく、2025年に入った時は品薄を極めていました」と、強い危機感を抱く。

「本枯節はコロナ禍で生産工場がものすごく減りました。飲食店が休業になったので、問屋が消費に回せない。問屋が買わなかったら、生産者も作れなくて1年、2年と休む。本当に手間がかかる本枯節なので、一度途切れてしまったら再開する時は商売として花かつおの荒節を作っている方がいいと思う方もいますし、現場の外国人技能実習生が帰国したり、新しい方が入れなかったりで、技術が途切れたという面があります。人口減少、働き手不足、後継者不足、賃金問題を抱えていた現場を、辛うじてつないでいた外国人技能実習生という細い糸すらも切れかけているのです」

需要は高い。しかし、消費者が意識を向けにくい“見えなさ”ゆえに、生産現場では、かつお節を作り続けるための構造が破綻している。かつお節が消滅する未来はあり得るのだろうか。

「100%消えてしまうことはないと思いますが、かつお節がご家庭の食卓に上がらない日は増えると思います。また、出汁をひくよりも麺つゆや白だしなどに置き換わり、かつお節そのものがない家庭が増えていくかもしれません。一方で、外食産業においては、ひとつの“日本らしさ”を表現する食材でもあるので、残っていくと思います。ただ、それは日本の文化がひとつ失われていくということでもあるので、そうならないように業界を挙げて頑張らないといけませんね」

中央区晴海に所在する1887年(明治20年)設立の東京鰹節類卸商業共同組合。
加盟する55のかつお節問屋が集まり2か月に1回、競りも開催

工業化により資本力をもつ大手数社のみは残るかもしれないが、かつお節の生産現場を取り巻く不穏材料は多い。

「それでも、作り続けなければ技術は継承されません。生産者は美味しいかつお節を作ってコストがかさんでも買ってもらえるのか、という不安は常につきまといます。問屋ができることは、それを適正価格で買うこと、消費者に伝えること。かつお節が消えるということは、『古事記』から伝わる日本文化が消えるということです」

かつお節を守るためには、消費者の意識も必要だという。

「そのために、自分たちの食文化を考える機会も作りたいと考えています。毎月24日は“節”で、11月24日は“いい節の日”なので、業界では『かつお節の日』と言ってるんですよ。でも、全く浸透してなくて……。それでも、日本料理はかつお節と昆布がないと成り立ちません。日本食も認証のようなものの制定を国にも動いてもらうなど、産業として応援して欲しいと思っています」

日本料理の土台のひとつは、かつお節であるのは間違いない。出汁の味で日本食を意識する人も多いだろう。“見えない”まま使われてきたその先に、何が起きているのか。それを意識する機会は、確実に減ってきている。

プロフィール

大塚 麻衣子

鰹節コーディネーター
鰹節の荷受問屋「タイコウ」代表取締役かつお節目利き

時代と共に透明化していった、かつお節という食材
熊本県生まれ。築地の割烹で料理人修行時代、出汁をひかず市販粉末出汁を使っていたことに衝撃を受け、独自で出汁を学び始める。渋谷の『d47 食堂』を最後に、料理人を辞めて、バイオ分析会社に勤務。その傍ら、自身の出汁への疑問を解決したタイコウに通い営業を手伝い、2018年に入社し、2022年より現職へ