海と食の未来をつなぐ人の
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食を切り口に、海と人との関わりを創発し、
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知れば知るほどもっと海が大切になる。

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海なしでは語れない日本の食文化、「和食」を通じて伝えたいこと

西居豊

一般社団法人 和食給食応援団 事務局長
Nishii Yutaka

第3回のゲストは、国産食材を使った「和食給食」の普及を目指す『和食給食応援団』事務局長の西居豊(にしい ゆたか)さん。「未来に残していきたい食文化と海への思い」についてお聞きします。

プロフィール

1982年大阪府生まれ。合同会社五穀豊穣代表。大学在学中に起業を経験。大学卒業後は、ビジネスの視野をさらに広げるためにマーケティング会社に入社。イベント・PR・プロモーション・企画などを手がける。2009年に農林水産省「田舎で働き隊!事業」を担当したことをきっかけに、地方や農業の危機的状況を目の当たりにし、地域活性を目指して独立。一次産業の販路拡大を手掛ける。2011年より学校給食への和食文化の普及・啓蒙に取り組み、国産食材を使った「和食給食」を進めるために、若手和食料理人らと2014年に『和食給食応援団』を設立。2012年朝日新聞社『AERA』が選ぶ「日本を立て直す100人」、2013年農林水産省事業審査委員、2015年「グッドデザイン金賞」受賞(和食給食応援団として)など。

CONTENTS

・26歳で独立。地域、食と関わることを決意
・「和食文化がなくなる」という危機感
・意識をもって食べる人がいないと、つくる人もいなくなってしまう

26歳で独立。地域、食と関わることを決意

編集部 西居さんが地域や食をテーマに活動するに至った経緯を教えてください。
西居さん(以下敬称略) 東京のマーケティング会社に就職して5年目くらいのときに、今の「地域おこし協力隊」の前身となる事業、農林水産省の「田舎で働き隊!事業」を受け持ち、全国の農山漁村を回ることになりました。 過疎化が進む地域もありましたし、そこでさまざまな課題を実際に見ることになるのですが、同時に、なんとか工夫してがんばろうとする人たちともたくさん出会い、私もなにかやりたいという思いが溢れてきてしまい、、、すぐさま会社を飛び出しました。26歳のときでしたね。
編集部 よほど強い思いがあったのですね。
西居 僕は小さいころから、工務店を経営していた父を間近で見ていたこともあり、大学1年から起業して屋台でバーをやったり、教科書を必要な人のもとへ届けるようなビジネスをしたりしていたこともあって、自分の食べる分くらいは稼げる自信があったので、独立に迷いはありませんでしたね。 独立後、まずは東京にいながら一次産業に関わりたいと思い立ち、築地市場で荷運びや掃除のアルバイトからスタートしました。全国の農家さんや漁師さんを訪ねて回ったのもこのころです。市場にないもので、料理人さんが欲しい食材がわかってきて、地方からわざわざ送ってもらったりもしました。けど、最初は売上を上げるのがなかなか大変で、別のアルバイトをしたり、週末の夜には屋台バーを開いたりして、なんとか生計を立てていた感じです。 その後、市場でがんばっている姿を評価いただき、チャレンジショップのような形で、築地の場外で店舗を安く貸してくださったんです。もともとマーケティングの仕事をしていたので、その店では産地や農家さんからの依頼を受ける形で、市場でプロモーション的なことをやったり、料理人さんにレシピ開発してもらったり。 でも、2011年の東日本大震災の影響は大きくて。仕事が6カ月くらい止まってしまい、非常に厳しい状況になりました。そのときに普段できないことをやろうと、米農家さんを学校にお招きして、お米の授業をしたのが、今につながる学校給食への最初の取り組みでした。

「和食文化がなくなる」という危機感

西居 独立した当初は、地域を活性化したい、その中で日本の水産物や農産物を取り巻く状況をよくしたいと思って活動を始めたんですけど、学校給食の献立表を見て驚きました。メニューのほとんどが洋食だったんです。子どもが喜ぶメニューも大切だと思いますが、そういう食事中心になってしまったら、日本の風土の中で生まれた和食、関連する食材、それこそ食文化自体がなくなってしまうんじゃないかって危機感を抱きました。 海のものも、山のものも、川のものも、様々な食材に恵まれて、こんなに生産者の方たちも情熱を持って作ってくれている、素晴らしい食文化のある国に生まれたのに、それを食べないのはもったいない。 そこで、懇意にしていた料理人さんに相談して、学校給食のごはん食化、和食化に向けた取り組みを2011年から始めたんです。最初は年に6回ほど、料理人さんと各地の小学校を回って、という活動をボランティアでやっていました。2013年12月4日に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたのをきっかけに、農林水産省が和食給食推進を事業化したことから、2014年から農林水産省とともに普及活動に取り組むことができました。
編集部 2013年のユネスコ無形文化遺産登録を契機にステップアップされたんですね。
西居 そうですね。2014年に日本料理界を代表する若手料理人たちと『和食給食応援団』を結成し、和食文化継承に向けての取り組みを本格化させ、和食献立の開発のお手伝いや、和食料理人による子どもたちへの食育授業などを展開しています。 特に力を入れているのが、学校給食をつくる栄養士さんたちへの講習。実は、栄養士の資格を取るカリキュラムの中で、和食について学ぶ授業は必須ではありません。さらに、若い栄養士さんは「一汁三菜」といった和食になじみが薄い世代ですから、子どもが喜ぶ洋食メニューを多く献立に入れるのは当然の流れなんです。「和食って作るのが難しいかも」という彼らの認識が変わると、和食のメニューを少しでも多く取り入れてもらえるんじゃないかと。

同時に、活動に共感、協力してくれるパートナー集めも行いました。鰹節や昆布を扱う会社をはじめ、おかげさまで今では70社ほどが取り組みを応援してくれています。

学校給食の取り組みの中では、食材の紹介なども行っています。食材があって初めて、地域の食文化がありますので、ここは大事な部分です。栄養士さんに向けた調理講習会と合わせて、食材の供給先などのマッチングまで取り組んでいます。

編集部 西居さんは海外への視察や講演なども積極的にされています。海外と比較して、日本の給食はどう評価されますか?
西居 日本の給食というシステム、文化は、本当によくできたものだと思っています。ヨーロッパでは、昼に家に帰って食べるところも普通にありますからね。そもそも給食自体がないところの方が多い。都市部の学校ではカフェテリア方式で自分で好きなものを選ぶところもあります。その点、栄養面からも考え抜かれた日本の給食はすばらしいものだと、海外視察に行くと毎回実感させられます。

さまざまな国が日本の給食に関心をもっていて、ヨーロッパ諸国やメキシコ、韓国、中国、台湾などからもお招きいただき、日本の給食について紹介してきました。2016年にはアフリカ・ケニアで開かれた第6回アフリカ開発会議の関連企画として、和食の素晴らしさを伝える講義をしました。アフリカでも近代化が進み、地域に根ざした食文化が忘れられようとしています。食文化の喪失が農業の崩壊につながるのではないかと、危機感を持つ研究者もいましたね。

日本の給食を参考にして、自国の給食をよりよくしようと多くの国が努力しています。ちなみに、世界で今いちばん進んでいるのはソウル市じゃないかと思います。衛生面や食品アレルギーの問題は20年前くらいにクリアして、今は食材を有機農産物に変えようという段階にきています。

意識をもって食べる人がいないと、つくる人もいなくなってしまう

編集部 西居さんの子ども時代はどんな食生活でしたか?
西居 母の実家は大分の専業農家で、小さいころに手伝ったりなど、農的な暮らしがわりと近くにありました。普段の食卓に、母の実家で大切に育てられたお米や野菜、父が海に潜って獲ってきた魚などがあり、農作物の栽培や漁の苦労も見聞きしていましたので、食のありがたみや大切さは人一倍感じていたかもしれません。「五穀豊穣」という社名にも、食に対する思いを込めています。 大人になって、市場で働くようになって初めてプロの料理人さんとお話しするようになり、食材や調理に対しての真摯な姿勢や思考を目の当たりにしました。 和食というのは「自然を尊重する料理」なんです。食材をきちんと尊敬して、尊重して、丁寧に大切に、無駄にすることなく使うこと。いい料理人さんほど、本当にそういう気持ちが強く、エビや魚ひとつ扱うのも丁寧です。食材への感謝の気持ちが常にある方、とりわけ和食の料理人と多く出会えたので、築地市場は最高の勉強場所でした。 しかし、そこまで理解してこだわっているのはプロや一部の食通の方だけです。食に意識をもって食べる人がいないと、つくる人もいなくなってしまい、食べられなくなってしまいます。手間ひま惜しまず丁寧に作るとそれなりにコストもかかりますから、食材に対して適正な対価を支払える環境、関係を作りたいと思っています。大きい話なので、私だけでできることではありません。せめて和食を好きになる機会を子どもたちに提供し、大人になっても和食を好きでいてくれるように、給食文化を変えるってことだなって思っています。
編集部 日本の食文化は「海」と密接に関係しているといわれます。これまでのお仕事の中で、それを感じられたことはありますか?
西居 日々感じています。日本の食文化は海なしでは語れないと思っています。たとえば北前船の交流や発展によってさまざまな海産物が運ばれました。函館から出発して、私が生まれた堺まで。寄港地では昆布は採れないけれど昆布食文化が発達し、和食の出汁も関西では昆布が重要な役割を果たします。乾燥保存し、それを料理に使うという文化が発達したのは、まさに海によってつながっていたからこそ。 日本が誇る発酵食である鰹節もそのひとつ。遠洋で獲れたカツオが枕崎や指宿で水揚げされ、そこで醸される。これも海の恩恵です。海のない栃木にも「もろ料理」というサメを食べる文化があったり、富山湾でとれた鰤を内陸へ運ぶための街道が鰤街道と呼ばれて発達したり、日本には海の食文化がない地域はそれほどないですね。ですからもっと日本人は「海」のことを考えたほうがいいと思うんです。

今、注目されている「環境」についても同じこと。温暖化の影響で海流が変化し、今まで獲れていた魚が獲れなくなったり、漁期がずれたりするようになっていますよね。料理人さんの中にも、危機感を持っている方がいらっしゃいます。

ただ、道を歩いている人に海の大切さを説くのは難しいように、タイミングが大事だと思います。その点、教育現場や給食は本当によくって、食に関する学びを日本全国すべての小学校で体験してほしいと思っています。自分が口に入れているものに興味を持たない人はいないはずで、食をきっかけに海について考えるのは、非常につながりが見出しやすいと実感しています。

編集部 大人になってみると、友達と食べる給食はかけがえのない時間だったと思います。西居さんの和食給食を普及する活動を伺い、つくる人と食べる人と、海や山や川といった自然環境がつながってくることに希望を感じました。

  インタビュー/児浦 美和  Text / Yuki Inui Photo / 西居豊さん提供