第9回のゲストは、 切れ味鋭い視点で常に社会に大きなインパクトを与えつづけている、解剖学者の養老孟司さんです。海と人の関係性が希薄になりつつある現代人の暮らしについてお話を伺いました。
プロフィール
1937年鎌倉生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得ている。1989年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットして2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数。
・なぜ、人は海から遠ざかってしまったのか
・生きるうえで「満足」とする範囲を考える
・海は「コモン」、自分ごとにするには?
編集部
養老さんは鎌倉生まれ鎌倉育ち。子ども時代は地元の海で遊んだりした記憶はありますか?
養老さん(以下敬称略)
夏はほとんど毎日、海で泳いでいましたね。葦簀(よしず)張りの海の家があって、いつもそこに行っていました。
養老
そうですね。一日中遊んでいましたね。ただ、僕が子どものころと今を比べて非常に違うと思うのは、あのころは「海国日本」、海の国・日本だった。それが最近ではまったく言わなくなりましたね。戦後からでしょうか。
編集部
昔は海がもっと近かったということでしょうか?
養老
なぜこんなに海が遠ざけられたのか。日本はこれだけ周りを海に囲まれているのに。逆に不思議ですよね。造船業もダメになりましたし。日本はそういう変化が極端ですね。雰囲気として、海があんまり生活の中に入ってこない。日本はどうして海を〝消しちゃった〟のか。これは疑問のまんまです。
養老
そうです。昔はもっと海が重要視されていましたし、生活の中で大きな割合を占めていました。漁師さんが家にまるのままの魚を普通に売りに来ていましたから。うちのお袋は開業医をしていまして、戦時中の食糧難の時代は漁師さんを診てあげると、お金で払わずに大抵「魚」で診療代を払っていました。そのもらった魚をさばいて食べるのが日常でしたね。
養老
それから身近ということで思うのは、もっと海上の交通を活用してもいいように思います。遠く離れた離島へだって、飛行場をつくることよりも、水面滑走ができる水上機を利用するとかも検討したっていい。東京湾を見てもそうですけど。
編集部
確かに、これだけ海に囲まれているんですから、もっとさまざまな選択肢があってもいいように感じます。
養老
みんな本気でやってないんですよ。考えの中から〝海を外しちゃって〟いる。そう思いますね。
編集部
養老さんの著書『超バカの壁』に、「都市化するということは自然を排除するということです。脳で考えたものを具体的に形にしたものが都市です。自然はその反対側に位置しています」とありました。
近年、地方であっても都市化が進んでいると思うのですが、〝遠ざけられた〟海と同様に、このような変化には危機感を覚えます。
養老
システム化ですね。それがどんどん進んでしまったんです。で、海なんかどっかいっちゃった。
脳みそっていうのは「自分が触れているものを現実とみなす」傾向があります。都会の人は自然から離れちゃっていますから、自然に直面するのがものすごく下手になる。どうしていいかわかんなくなるんです。
編集部
自然と離れると、食べることや生きることと遠くなってしまいますね……。
養老
それで僕は、ずいぶん前からですが、都会の人が一年の一定期間、田舎に行くという「参勤交代制度」を提案しています。都会で頭でっかちな暮らしをする人は、自然に触れる機会が必要。自分の体が何でできているかというと、田んぼや畑や海からとってきて食べたものでできているわけだけど、すっかり忘れちゃっている。そういう身体感覚を取り戻す時間がないとね。
編集部
すごくいい考えかたですね。そして今、コロナによって「参謹交代制度」はやりやすくなっています。簡単なところでいいますと、アウトドアを楽しむ人が増えたり、オンラインツールの普及によって身体は地方にいても、東京と同じように仕事ができるたりも、耳にするようになりました。ただ、単純にいいことだけでもないなあ、と思っています。
養老
もちろんです。いいことを取ろうと思うと、だいたいマイナスがついてくる。人生ってのはいいことだけか?って言いたい。そうはいかない(笑)。
いいも悪いも考える必要はないんです。どうすれば「満足」かっていうことだけ。それで僕はいつも猫の相手をしている。
養老
猫が一番わかりやすい。こんな暑い日だったら、家中で一番涼しいところに行って寝ているだけ(笑)。つまり人間も、そんなにたくさんのものが必要なわけじゃないんです。ロケット造って宇宙に3分行って帰ってくるってことが、本当に必要かって。
みんなが必要な範囲で生きるってことを考えれば、自分がどの状態で自足しているかがわかる。自足とは自給自足の自足ですね。それが都会にいるとわかんなくなっちゃうんです。「もっともっと」になっちゃう。
編集部
海の問題でも、たとえば最近ニュースなどでもよく耳にする水産資源の枯渇の問題にもいえるかもしれません。
養老
人が本当に必要としているものって、たかが知れているんです。でも、「魚を一匹釣ってくればうちの家族は十分」では終わらなくなっている。自分がどれだけのものを持っていたら満足か、誰もわかっていない。
編集部
はい。自分に置き換えてみると「お腹いっぱいだ」くらいの感覚はあるんですが、経済的な面では、必要とか満足という線引きが難しくなっています。でも、この調子で「もっともっと」としていたら、資源にも限りがありますから、奪い合いになってしまいますね。ただ、必要とする範囲をどれくらにするか決めるのは、非常に難しいことだと思っています。
編集部
これからの海と食の未来を考えていく上で、どんなことが大事になってきますか?
養老
海は完全な「コモン」ですよね。みんなの「共有地」。四方を海に囲まれた日本の場合は、みんながその考えかたを持つといいと思うのです。
編集部
海は共有地だという感覚をみんなが持てれば、たとえば地元の海でどんな魚が獲れるのか、さらには海洋の資源などにも関心が向きますね。人って自分と直接関係することじゃないと急に遠ざかりますから。「食べる」ことをきっかけにすると、関心を持つ人は増えそうです。
養老
僕らが子どものころは、海に入ってウニを獲って食べるくらいのことはしていました。タコ、アワビも当たり前。でも、今それをやったら漁業権の問題もあって怒られる。海を自分ごとにするには、資源を守りつつ、住民が関わりを持てるゆるやかなルール、たとえば漁業権を持つことなんかも考えられるでしょう。
編集部
なるほど、仕組みを変えるんじゃなく、そこに入っていけばいいんですね! 海に関わる権利をみんなで共有するとか、選挙権と同じように参加する意識をもつことが大事です。今まさに新しい社会の仕組み、概念が求められている過渡期だと感じます。養老さんのお話を聞きながら、未来のあり方が少しイメージできました。
養老
未来はつくらないといけない。一番困るのは「この先どうなるんですか?」って質問や姿勢。そういう人には逆に「あんたはどうする?」って問いたい。
編集部
その言葉は胸に刺さります。
自分の暮らしや、生きることと直結することから考えるのが近道だとしたら、「食」というのは誰にとっても身近なことです。もっと知ってほしい海について、私たちの「海と食プロジェクト」から情報発信していくこと、この役割を果たしていきたいと思います。ありがとうございました。
インタビュー/児浦 美和 Photo&Text /Yuki Inui