海と食の未来をつなぐ人の
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「海」の多様性と「食」の多様性をつないでいく場所

磯崎真

一般社団法人豊洲市場協会事務局次長
makoto isozaki

第5回のゲストは一般社団法人豊洲市場協会で事務局次長を務める磯崎真(いそざきまこと)さんです。

水揚げされた水産物は、市場を介して卸業者、仲卸業者・売買参加者、買出人などを経て、私たち消費者に届きます。一見、左から右へと単純に流れていく工程に思えますが、決してそうではありません。市場という存在は、私たちの想像を超える綿密な機能を果たしており、サステナブル(持続可能)な食を支える重要な役割のひとつを担っています。水産物の取り扱いで日本一を誇る豊洲市場で広報を担当する磯崎さんに話を伺いました。

プロフィール

山口県生まれ。2001年にみなと山口合同新聞社に入社。水産と食品専門紙『みなと新聞』に配属後、築地市場、農林水産省、鮮魚専門店やスーパー・コンビニ、ねり製品などを担当。デジタル部門担当デスク、編集長、東京支社長を経て2019年に退社。水産業界の活性化に向け、広報戦略などを支援する株式会社Fish-Partnersを設立。2019年10月から一般社団法人豊洲市場協会の事務局次長広報担当として、水産や青果の食材情報、市場PRなどを手がける。趣味はフットサルとゴミ拾い。

CONTENTS

・新聞社時代に多くの学びがあった水産業界に恩返しを
・200種類以上の水産物から選べるという、海の多様性を伝える場所
・消費者から遠くなった市場を、消費者から近くなる市場にするために

新聞社時代に多くの学びがあった水産業界に恩返しを

編集部 磯崎さんは豊洲市場にお勤めで、毎日水産物に囲まれている生活かと思います。小さい頃から海や水産物に興味があったのでしょうか。
磯崎さん(以下敬称略) 山口県の下関で育ったので海や魚は身近な存在でしたが、仕事で関わると思ってもいませんでした。そんな私が、水産物に深く関わるようになったのは社会人になってからです。就職活動で山口県の地方紙を志望していましたが、最終面接の場で一般紙ではなく、水産の業界紙への配属が伝えられまして。「魚は好きです」と答えて、そのまま就職。入社して2週間後には、本社のある下関から東京支社へ赴任し、築地市場の市況担当となりました。
編集部 『みなと新聞』といえば1946年(昭和21年)に立ち上がった、水産業界の老舗専門紙ですよね。その様な媒体で入社後2週間後には築地担当というと水産物への知見が豊富であるエリートだったと思えるのですが。
磯崎 そんなことはありません。昔の職場ではよくあることだったと思いますが、新人教育といえば「現場で学んでこい」というスタイルが主流で。築地市場に行けば、魚のプロがたくさんいるし、何百種類もの水産物が目の前に並んでおり、学びの場としては最高です。そうとはいえ、プロが真剣勝負を繰り広げる市場で、魚を何も知らない新聞記者は邪魔でしかありません。上手く取材ができず、市場に行くのが嫌になったこともありましたが、通ううちに懐が深い魚河岸の方々に助けられ、教わりながら、水産記者としてのキャリアをスタートしました。
編集部 そのような苦しい状況を乗り越え、東京支社長までに出世されたと聞いています。
磯崎 築地で学び、その後、鮮魚店、スーパーやコンビニ担当、新潟担当、かまぼこなどのねり製品担当などを経て、下関の本社に戻りました。現場ではとにかくたくさんの人と接し、さまざまな水産に関するビジネスを教わりました。本社では海外メディア(英字水産)のデスクや電子版のリニューアルを手がけるなどした後、編集長に就任。ビジネスに役立つ情報をどのように分かりやすく伝えるかを念頭に編集に取り組みました。その後、東京支社長として東京に再び赴任することになります。
編集部 新聞社での華やかなキャリアを積みながらも、一旦リセットし豊洲市場協会に入職したのはなぜでしょうか。
磯崎 そうですね、『みなと新聞』では、多くの出会いや経験を積ませてもらったこと、自分にやれることをある程度できたこともあり、もっと水産業界に貢献できるような事業ができないかと考えていました。同じ頃、会社の方向と自分が進みたい道が違っていたこともあり、会社を飛び出しました。取材活動の中で、日本の水産業をよくするために優秀かつ精力的に活動されている方々にたくさん出会いましたが、それでも未だ課題の多い業界だと思います。一方で、長年関わってきた業界に対して、私は何も貢献できていないなと実感するとともに、微力ですが何かできることがあるのではないかと漠然と考えていました。そんな折、記者時代からお世話になっていた豊洲市場協会の伊藤裕康会長から市場で働かないかと誘っていただき、少しでも恩返しをしたいとの強い想いがあり、入職を決めました。
編集部 新聞記者から豊洲市場協会職員へと転身し、どの様な業務を担当されたのでしょうか。
磯崎 ここには水産業のプロフェッショナルが多くいるので、直接水産物の商売に関わることはありません。広報担当として、市場の情報発信、来場者対策などを行うとともに、交通・衛生などの市場協会業務をお手伝いしながら、今は新型コロナウイルス対策に携わっています。「恩返し」といえるところまで行きませんが、市場が活性化するための活動を行なっています。ちなみに、日々終電で帰宅する生活から、始発で出かける生活へと、大きく変化しましたが、今のところ寝坊はしていません。
提供/磯崎真さん

200種類以上の水産物から選べるという、海の多様性を伝える場所

編集部 広報担当として業務に取り組まれる中で、気づいたことを教えてください。
磯崎 豊洲市場に日々足を運んで改めて感じるのは、この市場が持つとてつもない魅力です。情報の宝庫であり、市場関係者もさまざまな広報活動を行なっていますが、「知りたい」という消費者が多いこともあり、伝えきれていない部分もあると考えています。「築地市場」「豊洲市場」は国内外で知名度があり、市場全体で情報発信していくことで、より多く方に魅力的な情報を届けることができます。市場の一般来場者アンケートを行なったところ、「知りたい」というニーズが予想より多いこともわかりました。 また、仲卸さんたちご自身も「知る」ということに関しては日々努力されています。たとえば2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発目標、SDGs(Sustainable Development Goals)」についての勉強会もやっていますし、水産物を守りながら適切に消費できる仕組みを構築している企業・団体に付与されるMEL認証やMSC認証、ASC認証への理解を深めるための勉強会もあります。水産資源がなくなれば商売できなくなるので、水産資源の持続化についてはかなり真剣な勉強会も行われています。
編集部 そのような勉強会は市場側が仕掛けているのでしょうか。
磯崎 いえ、皆さん自主的に取り組んでいます。何十年も仲卸をやっている方々も多いので、水産資源の減少や変化については肌で感じているでしょう。さらに、消費者に対して「環境に配慮し、持続可能な食材を使用している」旨を提示している外資系ホテルや大手スーパーなどの納品先からも、認証についての理解を求める要望が上がっていると聞きます。また、水産物の輸出というのが豊洲市場でも活発になっているので、輸出先のお客様が販売に際して求められる基準を満たすための情報が必要になることが多く、必要な取り組みとなっています。
編集部 水産資源の持続性について、仲卸さんが持つ意識は高まっているということですね。では、磯崎さんは水産資源の持続性について、どの様な考えをお持ちでしょうか。
磯崎 日本の食文化の中でも、水産物ほど種類が豊富な食材はないと思います。豊洲市場で扱っている水産物だけで常時200種類にも及びます。「鯵(アジ)と鯖(サバ)と鰤(ブリ)しか食べません」というのでなく、多種多様な水産物の中から毎日違うものを選んで食べる。それだけで一定魚種の乱獲を防ぎ、水産資源の持続性を保つだけでなく、海の食文化をさらに発展させることができると思っています。
編集部 その文脈でいうと、目的外の魚が網にかかってしまい水揚げしても消費されにくい「未利用魚」の存在が、業界のホットワードになっていますよね。
磯崎 「未利用魚」の利用は推奨しますが、なかなか長続きしないのが現状です。水揚げがまとまらなかったり鮮度保持や調理が難しかったりと。それで「低利用魚」になっています。それでも仲卸さんの中には挑戦し続けたいという方々もいて、市場のSDGsの取り組みの中でもプロジェクトになっています。とはいえ、「未利用魚」「低利用魚」を含め、意外と珍しい魚が豊洲市場に来ているんですよ。ベテランの仲卸さんでも判別できないような魚も。
編集部 「未利用魚」は豊洲市場まで来ているんですか。「未利用魚」は地元で消費するしかないのかなと考えていました。
磯崎 豊洲市場への出荷に関しては、何を出してもいいので本当に多様な魚が届いています。最近の傾向としてFAXやインターネットを通じた売買が多くなっていますが、市場に来るからこそ見つけられるお宝食材があるのも事実。購入目的の魚の横に置いてあった別の魚が目に留まるというような「ついで買い」が、魅力のひとつだと思います。豊洲市場では多くのの水産物が取引されているので、今まで知らなかった食材に出会う確率は高く、消費者の食卓に新たな食文化を届けることができていると思います。
編集部 市場は、食卓に新しい食文化を届けるという機能を果たしているんですね。もう少し詳しく教えてください。
磯崎 市場では、卸から競り落とした水産物を仲卸が捌いて部位を切り分け、市場内の店頭に並べるだけでなく、それぞれの部位を必要としている魚屋さん・料理屋さん用に仕分けし、販売・納品します。単に「何々が沢山入りました」と箱をたくさん並べるのではなく、顧客それぞれのニーズに応えた綿密な流通的機能を果たしているのです。さらに、各漁港とのコミュニケーションもとれているので、水揚げされた段階で市場に送られてくる水産物の情報を得ることができ、事前に顧客に連絡して必要な量を確認することができます。たまに流通してはいけない毒を持った魚が入荷したりしますが、そこは、市場にある衛生検査所の方が目を光らせています。
ザ・豊洲市場ホームページ
編集部 漁師さんらが、海に出て苦労して獲ってこられた海の恵を、魚屋や料理屋などの必要としている顧客に余すところなく届け、消費者が食することができる。その様な役割を市場は担っていらっしゃるんですね。
磯崎 はい。海の豊かさや多様性と、食の多様性をつなぐような場所でありたいと思います。

消費者から遠くなった市場を、消費者から近くなる市場にするために

編集部 築地から豊洲に移転した目的のひとつとしては、老朽化した施設から近代化した施設に移ることにより食材の品質管理や衛生環境の強化を図ることだったと聞いています。一方で、築地時代とは異なり、一般の方々が仲卸さんの所に行って、多種多様な水産物を見ることができなくなったことに対して、残念がっているとも。
磯崎 食材の品質管理や衛生環境については、抜群に上がりました。残念な点については色々あるかもしれません。豊洲市場には多い時で一日3~4万人、平常時でも1~2万人の一般来場者が日々来訪し(コロナ禍以前)、セリ見学や飲食店訪問などを楽しんでいただいています。また、豊洲市場にはPRコーナーがあり、そこには見学者から多くの声が寄せられています。やはり「多種多様な魚を見ることができない」という声が多く聞かれます。やはり見たいですよね。私も仲卸さんの所を回るのが楽しみのひとつなので、思いはわかります。 その代わりになるように、知らない魚を見つけたり、あまり入らない珍しい魚を見つけたりすると、皆さんに見ていただけるように公式ホームページやツイッターで紹介しています。
ザ・豊洲市場 ホームページ

来場者にいかに食材の情報や市場の魅力を伝えられるか、常に考え、取り組んでいきたいですね。ゆりかもめ市場前駅の改札正面に設置したデジタルサイネージは、さまざまな情報発信に活用しようと考えています。春には水産物の持続性を伝える動画を放映しました。商業広告は流せませんが、産地の情報やエコラベルの情報、外国人向けの食文化情報などを提供し、市場や水産物をより身近に感じてもらえればと思います。市場内だけでなく、地域活性化に取り組む地方自治体や団体の方とともに、水産業界の活性化、持続可能な魚食普及にぜひ取り組んでいきたいです。

編集部 最後の質問です。なぜ磯崎さんは情報配信に力を入れているのでしょうか。
磯崎 情報の目詰まりを感じたからです。先ほどお話ししたように、市場は情報の宝庫であり、豊かな海と水産物に関する知識や情報、教養などが詰まっています。特に仲卸の方々は長年の経験に加え、水産資源の継続的な活用に関して日々勉強し、知識や情報を蓄えています。 ただ、それが消費者まで伝わっているかというと、伝わりきれていないと思います。
編集部 市場や仲卸さんらの持つ知識や情報が消費者にまで届くとどのような世界になるのでしょうか。
磯崎 私自身、まだまだ食べたことのないおいしい魚介類や料理がたくさんあるはずです。そんなおいしい魚介類や料理を知ること、旬や目利き、調理法を知ることで、幸せな食事をすることができると思います。サンマにしても、サイズや脂ののりなどによって味も調理法も異なります。どのように捌き、調理すると美味しく食べられるのか。そんな情報が仲卸さんを介して買出人に伝わり、料理人や消費者の元まで届けば、「鯵(アジ)と鯖(サバ)と鰤(ブリ)しか食べません」という方も、豊洲市場だけでも200種類ある豊富な海の食文化を楽しめることになり、かつ一定の水産物の乱獲を防ぎ、水産物のサステナビリティ(持続可能性)を保つことにつながるでしょう。
編集部 市場が担っている機能は、一般消費者には分かりにくい部分なので、今回詳しくお聞きしてみえてくることが沢山ありました。取材した2021年8月は、緊急事態宣言中ということもあり一般向けのセリ見学は中止されていました。制限のある状況の中で様々な苦労がある様子がある中でも、水産物の未来を考え、海の多様性と食の多様性をつなごうとしている磯崎さんの活動を応援したいと思います。

  インタビュー/児浦 美和  Photo&Text/戸田 敏治

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