CONTENTS
日本人は、本当に昔から魚を食べてきたのか?
- 戦後構築された制度と流通の発展により拡大した魚を食べる文化
- 町の“魚屋”の減少が招いた消費者と魚の接点
魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声
魚食の前提はどのように作られてきたのか
北海学園大学経済学部教授
専門は漁業経済学、地域経済論、協同組合論
日本は「魚を食べる国」だと言われてきた。 そのイメージは本当に歴史の事実なのだろうか。 流通や保存技術、家庭の変化といった複数の要因をたどると、そこには”魚食は自然に続いてきた文化”とは異なる、もうひとつの姿が浮かび上がる。 私たちが当たり前と思っている魚食の風景を、改めて見つめ直す。
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日本人は、本当に昔から魚を食べてきたのか?
日本人は昔から魚を食べてきた。当たり前のように使われるこの言い回しは、日本の食文化を語る場面で半ば自明の前提として使われてきた。しかし、長年日本の漁業と水産流通を研究してきた濱田武士教授の話を聞くと、その「当たり前」に立ち止まる必要があるかもしれない。
「現代の魚食文化を形づくったのは鮮魚流通です。これが日本国内の隅々まで拡大するのは、第二次世界大戦後です。日本の人口が増え、経済発展していくなかで、街中に鮮魚店が設置されていきました。少なくとも昭和50年代、1980年前後まで拡大が続きました。つまり、鮮魚流通の発展と共に、日本の食卓に、現代の魚食文化としての鮮魚が根付いたんです」
もちろん、魚食文化そのものは昔から日本にある。しかし、戦前は漁場と消費地の距離が、そのまま“魚との距離”となっていた。
「冷蔵庫がなかった戦前は、保存性を考慮した素干しや開き干し、塩蔵など加工をほどこした形態が多かったです。本当に鮮度の良い生の魚が流通していたのは海の近くか、鉄道沿線の一部くらい。下関から新橋までの鮮魚列車が明治期後期から走っていましたので、その線路沿線ではある程度は鮮魚が入っていましたね」
現在、私たちが“伝統的”だと思っている魚食は、実際のところ戦後に形成された60年程度の新しい生活様式に過ぎない。逆に、加工された魚介類は、海から遠い山梨県の「あわびの煮貝」、長野県の「塩いかの酢の物」など保存食を活用した魚介類が郷土料理にいまも残っていることから分かる通り、日本は長らく加工を経た魚が主役であった。現在のように、全国どこでも同じ魚種は並んでいなかったのである。
魚食が全国的に広がった背景には、文化的な成熟というよりも、制度と流通インフラの整備があった。これにより、魚は獲れた地域で消費される食材から、全国へ運ばれる商品へと位置づけを変えていく。
「鮮魚流通が本格化するのは戦後の高度成長期、昭和30年代からです。人口増加と共に行政が食品流通対策として卸売市場を各地に流通インフラとして開設し、整備されていくなかで鮮魚の扱いが伸びていきました。その立役者は鮮魚店です。昔の小売店は専門性が非常に強く、自分たちが仕入れる商品に対して説明責任も担っていました。鮮魚店は、市場から値入れた魚を地域の顧客に提供するのはもちろん、地元で見たことのないような魚も『こうやったら美味しい』と需要を喚起する機能があり、それが高度経済成長から昭和50年代ごろまでの戦後の魚食文化を作ったといえます」
市場が整備され、流通網が作られた昭和30年代~50年代。魚が広域流通できる条件が整ってからの魚の食べ方はどう変わったのか。変わらなかったのか。
「メインは干物です。鮮魚は天候などで安定供給が難しいため、なければ干物などの加工品を鮮魚店は販売しますし、干物はいつでも出せるのも利点です。また、家で丸魚をさばいて料理する楽しみが各家庭にあった時代です。核家族化がそれほど進んでなく、三世代同居の家庭も多く、家庭内での料理の知恵も伝えられていました」
生食が広まるには技術が追いついてなかったということだが、この時代の技術革新は目覚ましい。日本の魚食文化を盛り上げる。

「生の魚が広く食べられるようになったのは、トラック輸送やチルド技術(コールドチェーン)の発展によるところが大きいです。昔は魚を木箱に入れるだけでしたが、発泡スチロールができて密閉できるようになり、生魚も新鮮なまま1週間程度もつようになりました。ほかにも、サンマの生食需要が伸びたのは2000年ごろからですが、それはアニキサス問題や鮮度維持技術あるいは小骨対策の未発達が解消されたからです。鮮度維持技術の発展が、現在の生食需要を伸ばした大きな理由のひとつですね。こういった発展によって、各家庭にも鮮度がいい魚が届くようになったのは、昭和40年代から50年代にかけて。それでも焼き魚が中心でした。刺身パックや寿司パックなどをスーパーで買って生食を家庭内で楽しめるようになるのはバブル以降でしょう」
魚食の拡大は、文化ではなく「経済と制度の帰結」であった。その一方で、廃れていったものがある。鮮魚店だ。
魚が家庭に届くようになっても、それだけで日常の料理にはならない。鮮魚店があったからこそ、成立していたのだ。鮮魚店は、単なる小売の場ではなく、魚を扱う知識や用途に合わせて加工する技術をもつ、消費者と魚を媒介するインターフェースであった。
「かつての鮮魚店は、対面で販売し、その日のうちに売り切るというものでした。最後は値下げしても売り切るために、仕入れた魚の美味しさや調理法を一生懸命に来店客に話をして売り込むというのがすべてという販売文化が鮮魚店にはありました。これが、日本の魚食文化をつくったのです」
しかし、鮮魚店が減少したことで日本の魚食文化が変化した。
「鮮魚店も売れ残ったら、自分たちで干したり、煮たりして惣菜としても店先に並べ販売していました。ところが、いわゆる“町の魚屋さん”が減った現在は、魚は“できあがったもの”になり、消費者は魚を切らない、煮ない、焼かない、揚げない。焼き魚もすでに焼いてある状態で売られています」
皮肉なことに、鮮魚を取り巻く技術が発達するとともに、日常的に魚を食べるための家庭内の技術は衰退してしまった。魚を食べる文化、昔から食べてきたというが、魚介消費量は2011年に肉類と逆転し、魚離れになる一方である。魚食文化のピークはいつだったのだろうか。

「統計データを見ると、1970年から80年代、バブル前までの期間は魚介類の消費が食品のなかでトップでした。この時代に作られた文化が、日本の魚食文化だというのが私の説なんですよ」
これは、昭和50年代に魚食文化のピークがあったということになる。
「理由としては、漁獲量が多く、価格が安定し、流通が整い、家庭には魚を扱う技術が残っていた。その4つの条件が揃ったのが、昭和50年代。この条件のどれかが崩れれば、同じ形の魚食は維持できません。衰退というより、均衡が崩れたと見る方が適切でしょう」
高度成長経済であるこの時代は専業主婦世帯も多く、栄養学の観点からしても「この時代の食卓は、非常に豊かだったとされています。それは魚が多かった時代でもあり、実際、家計調査年報によると、家計における食品の金額のなかで魚介類がトップでした」と言う。
しかし、これ以降は漁獲量減少、価格の変動、担い手の高齢化などが進み、魚を取り巻く条件は変化していく。魚を食べる「当たり前」は、自然に続いてきたものではなく、制度と人の働きによって支えられてきた。制度・経済・家庭の技術のバランスが噛み合った、“ちょうどいい時代”に全盛期を迎えた魚食文化から、わずか数十年でなぜ日本人の日常から魚が遠ざかったのか?後編では、食のグローバル化からアプローチする。
北海学園大学経済学部教授
専門は漁業経済学、地域経済論、協同組合論