CONTENTS
魚食文化はこのままでは続かない、消費減少という現実
- 天然魚の価値が伝わらない時代へのジレンマ
- 「美味しさの記憶」を増やす仕組み作りのために
魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声
魚はどのように食べ物になっているのか
漁師
独自の挑戦を続け、『ゴ・エ・ミヨ 2021』日本版で『テロワール賞』を受賞
魚が食べられなくなったのではなく、「美味しさ」を知る機会が失われているのかもしれない。家庭で魚が選ばれなくなったいま、その価値はどこで決まり、どう伝わるのか。味の記憶はどのように生まれ、次世代と引き継がれるのか。 魚食文化の現在地と、その先にある可能性を考える。
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魚食文化はこのままでは続かない、消費減少という現実
操業する海域に生息する魚が少なくなった、周囲と競うように獲っていたら20年も資源がもたない――。そう考えて、キロ単価の価値を上げる販路の開発、やがて神経〆と出会った藤本さん。神経締めの技術により、浜に揚がったときの鮮度と遜色ない魚が消費地に届くことから現在、取引を望む料理人は引く手あまたで絶大な信頼を得ている。
前編では漁業の最前線・漁師の気づきを語ってもらった。では、漁師から見た日本の魚食文化の未来はどう考えているのだろう。その違和感は、どこから生まれているのか。
「正直に言うと、魚食文化の未来はあまり明るくないと思っています。家庭で魚の代わりに食べられるものが増えてますからね。昭和の方が悪い魚がたくさん流通してたのに、魚が選ばれないってことは、魅力が無くなっているんですよ。それに、一般的な年収500万円の家庭で、晩ごはんの予算が2000円だとした場合に魚を選択するのか、っていう。3枚200円ならいいけど、それが500円だと選択肢から外れる。食べてもらわないと、その文化もなくなりますよ」
買われないということは、家庭で魚を調理する機会も減っている。
「魚って、家で扱うのが大変ですよね。昭和なら専業主婦も多かったから、食事の支度に時間をかけられる。魚を買って家で作るのも普通だったじゃないですか。いまは共働きで仕事が終わって、7時に家に帰りました。そこから丸魚のウロコを取って魚料理をしますか?魚を選択して作るわけがない」
スーパーの鮮魚売り場は、切り身や刺身が多く並ぶ。共働き世帯増加により、これは仕方ないことである。
「魚を丸のまま買ってた時代と比べると、消費量が減るのは当たり前。漁獲量が減ってる、値段が上がってる、お財布はきつい、時間もない。わざわざ魚を食べなくても、肉を選べる。タダみたいな価格だったイワシすら結構な高級魚だし、干物も一度食べなくなって久々に焼いたらにおいが気になる。そんな思いをしながら、魚を食べるものでもないなという風になっていくと思いますよ。漁師がどれだけ頑張っても、家庭で食べてもらえなかったら意味がないんです」
魚は肉の利便性には、どうやっても敵わないというのと共にもうひとつ、漁師ならではの懸念
もあった。
魚には、天然魚と養殖魚がある。養殖の歴史は長く、偶然の発見からノリやカキが手がけられ、明治に入るとマダイの研究がはじまった。昭和2年には香川県でブリ(ハマチ)の養殖が成功して以降、近年では近畿大学のクロマグロの完全養殖、陸上養殖など成功例は枚挙にいとまがない。この養殖の発展により、回転寿司やスーパーマーケットの中食など“気軽にお寿司”の恩恵を受けられるようになった。
「それだけに、天然魚だから美味しいっていうのは、いまの若い人にはあまり通じないと思いますよ。40歳くらいから下はもう魚離れ世代というか、天然魚をそんなに食べていない。大手回転寿司チェーンとかで魚を食べる機会があっても、多くは養殖魚。養殖の技術も上がって餌の特有のくさみも薄くなったし、食べる人の好みも最近は“魚は脂がのってれば美味しい”になったから、天然魚の旨味っていうのは伝わりにくくなっている」
天然魚の味を知らなければ、たとえば、こんな未来が起きると予想する。
「僕の息子世代が漁師になったときに、天然魚が買ってもらえるのか。本当は3000円の価値がある天然魚でも、息子たちの世代は慣れてる味で十分だからと1000円の養殖魚が選ばれる。漁師からしたら3000円じゃないと生活が成立しないのに、養殖魚に合わせたら1000円でしか売れない。もしくは、500円でしか売れない可能性の方が高い」
天然魚は個体差がある。藤本さんが卸している神経〆の魚は、何千匹と獲った中の精鋭部隊。これを、広く世間一般に流通させるのは難しい。それだけ状態のいい魚でも市場に並べば、ほかの魚と同じ扱いになってしまう。パッケージされた瞬間、その差は見えなくなる。
「いずれ高い値段の天然魚を、わざわざ買う必要がない時代になっていく。いや、いまもうなってるんですよ。でもね、本当に味が分からないのか。子どもは魚嫌いなのかって」
この疑問から、あることを仕掛けた。

「僕の息子が小学校に上がるか上がらないかのときに、魚嫌いの子がたくさんいたんですよ。そこで、試したんですよね。魚が嫌いな子全員にウチに来い、って。僕の魚を食べさせたんです。いつもは骨があったら『もういらん』なんて言ってる子が、骨ごとの魚をむしゃむしゃ食べる。おかわりしたことない子も、いつもよりいっぱい食べる。親がびっくりしちゃってね。子どもの味覚、好みが出来上がるまでの間にちゃんとしたものを食べさせたら、その味を分かって食べるようになるんですよ。最初に覚えた“美味しい”が、その後の基準になる」
味の好みが完成する前に、魚を食べる機会が少なければ、積極的に食べようと思わなくなる。天然魚を味わってきた体験がなければ、「回転寿司も超高級鮨店も、どこで食べても同じ美味しいになる」が、藤本さんの持論だ。
「天然魚の美味しさを知らないまま大人になる子が大部分、90%くらいだと思うんです。将来、その子たちが僕の獲った魚を、丸のまま買って自分でさばいて刺身で食べるということないでしょう。そうなると天然魚の市場は10%以下。息子の時代は厳しくなる」それでも、魚食の未来につながるヒントを藤本さんは見つけた。
魚嫌いな子どもでも、「美味しい」と知れば食べることができる。でも、食べる入口に立つにはどうしたらいいのか。それを、藤本さんは見つけたのだ。たとえば、家で魚を食べる機会があるかどうか。それだけでも大きく変わる。一度も“ちゃんとおいしい魚”を食べたことがなければ、比較する基準すら持てない。
「一度でもちゃんと美味しい魚を食べたら、分かりますよ。そのためには、食べてもらう仕組みを作るのが一番。僕ができる最速で最大のことは、自分で鮮魚店を出すこと。一般の人に適正価格で、ちゃんと美味しいものを食べてもらうためにね」
それが、愛媛県松山市のスーパーに鮮魚店『おさかな屋さん蛭子丸』である。藤本さんと直接取引する飲食店は、いわゆる高級店。誰もが行くにはハードルが高いが、鮮魚店ならば日常のささやかな贅沢の範囲内だろう。
「それと、東京の新宿でランチの焼き魚をめちゃくちゃ頑張ってる、店主の『和味 りん』にも送ってますよ。ちゃんと魚を見てくれるし、扱いだっていい。本当は夜にけっこうお客さんが入る店なんでランチ営業をする必要がないのに、焼き魚を1日50食くらいも売ってる。彼も未来のことを考えてる、と会って話したときに分かってからの付き合いですね」
店主とは、『魚を“食べる力”は、次世代へ継承できるのか』の芳賀博康さんのことだ。ランチを入口に藤本さんと芳賀さんはもう一段階先のことを考えていた。

「僕の送った魚の味を一度覚えると、リピートしてくれるそうなんですよ。そんな女性は、きっと子育てをしながらも食べる。お母さんが食べるから、子どもも食べるようになる。子育てがひと段落して、夜の営業にも来てくれることもあるらしくてね」
ふたりは、ランチを未来の顧客を育てる場にしたのだ。
「僕の魚を使ってる飲食店のディナーは、最低2万円くらいしちゃう。普通に考えて、世間の90%の人間は関係ない話が、僕がいまやってる仕事。でも、新宿の店のランチだと半分くらいの人はいける。そして、僕の時給が出せるギリギリの卸しです(笑)」
自分のことだけを考えれば、高級店だけを相手にした商売であれば儲かる。しかし、しなかった。藤本さんのような漁師が増えれば、日本の魚食文化の未来は明るくなるのか。
「努力しても、ほぼ真っ暗ですよ。僕はその未来から逃げ切れることが分かってるし、自分だけのことを考えてたら、高級店だけを相手にした商売の方が儲かる。でも、自分で鮮魚店をやって、ランチにも卸す。命題的にはやった方がいいからですね。儲けだけを利己的に考えるのは、やらない方がいい」
人は美味しいものなら食べる、記憶に残る、次世代へと文化のバトンが渡る。逆をいえば、その機会がなければ、ますます魚は選ばれなくなってしまう。いい魚があっても、届かなければ存在しないのと同じだ。それを「魚が好きだからなくなると寂しい」から、藤本さんは漁に出て、魚を〆て、流通させる。

「でも、僕いつも言ってますよ。不幸の入口へようこそ、って。ウチの魚を食べると今まで美味しいと思って買ってた豊洲の魚がなんだかなぁ、って(笑)」
それが本当の不幸かはさておき、志をもった漁師の腕により〆られた魚は食べた人の舌が覚え、記憶に刻まれる。もしかしたら、魚食文化を守るのは、制度でも理念でもなく、味の記憶の連鎖なのかもしれない。
漁師
独自の挑戦を続け、『ゴ・エ・ミヨ 2021』日本版で『テロワール賞』を受賞