鎌谷かおる
立命館大学 食マネジメント学部 准教授
kaoru kamatani
第18回のゲストは江戸時代の漁業や人々の暮らしを研究する鎌谷かおるさんです。たくさんの恵み、悲劇的な災害、自然は人間に良くも悪くもさまざまな影響をもたらします。そんな自然と人との関係を過去の日本人はどのように構築してきたかを知り、私たち現代人の未来に活かしたいと考える鎌谷さんに「人と自然の関係」について教えてもらいました。
プロフィール
神戸女子大学大学院文学研究科博士後期課程日本史学専攻満期退学。神戸女子大学等非常勤講師、総合地球環境学研究所特任助教などを経て、2018年より立命館大学食マネジメント学部准教授。
漁業権から見えてくる人と自然との関わり
経験則から生まれたサステナビリティ
たとえ「答え」がなくても考える
編集部
鎌谷先生は、水産業を切り口に、江戸時代の人と自然の関わりの歴史をご研究されていらっしゃいますが、水産業のどういったところに惹かれていらっしゃるんですか?
鎌谷
水産業の中でも「漁業権」に興味を持ち、研究してきました。線引すれば分けられる土地などの権利とは違い、権利の対象である漁獲物が移動するという意味で、とても複雑な権利だと思っています。
編集部
「漁業権」をめぐって、揉め事も起こりやすいとお聞きしました。
鎌谷
はい。そういう複雑な部分を入口に、漁場の権利や漁獲した水産物の分配という人の生業を通して、海や山といった自然、地域、人の関係がどう形成されていくかを知りたいと思ったんです。人は自然と向き合うことによって初めて、思い通りにならないことに直面します。それをどのように解決するのか、人間の知恵とかコミュニティのあり様がよく見えてくるんですよね。
編集部
揉めごとから人間性が見えてくるというのはおっしゃる通りだと思います。先生の研究のフィールドである江戸時代の琵琶湖の漁業には、どんな特徴がありますか。
鎌谷
琵琶湖がある近江国(現在の滋賀県)は、江戸時代以前から、北国と京を結ぶ重要な交通路でもあり、中世には織田信長等の武将達の政治的拠点の一つにもなりました。有力な寺社ともつながる地域もあったため、琵琶湖の漁村は、江戸時代以前から、公権力や寺社が認め与えた「独自の漁業権」を持っていて、それが重なり合う形で共存していました。
編集部
独自の漁業権…。権利と権利がぶつかりあいそうですね。
鎌谷
江戸時代に入ると、漁村の漁業権はそれぞれの領主が追認あるいは再設定する形で成り立っていました。どっちの権利が正しいのかという根拠としては、当時の人たちはそれぞれの“由緒”を持ち出して主張を通していまして、例えば、当時琵琶湖において最も活躍していた堅田漁師は、自分達の漁業権は、かつて足利尊氏や織田信長等に認められたものだったことを主張しています。それで他の地域の漁師と争いになり、裁判になった時に話を聞く江戸幕府の奉行や領主の側も、昔からの既得権益的な主張を突っぱねるのではなく「そういうことなら優先して聞きます」みたいな対応をするんです。
鎌谷
そうかもしれません。ただその“由緒”も江戸時代の中期から後期になっていくと「鎌倉時代とか安土桃山時代とかの話をされても、そんなの古いから」って相手にされなくなっちゃうんです。考えてみれば当然ですけど当時の人たちにも「古い」という感覚があって、権威主義的なところがある一方、ほどほどにしないと、という現代の私たちの感覚とあまり変わらないところがあります。
鎌谷
ですので、争論が起こるたびに公権力による新しい判断による漁業権が定められるのですが、その一方で江戸時代以前からの各地の由緒は依然として琵琶湖の漁師全体の共通認識であることは間違いなく、争論を繰り返しつつ新しい論理と連綿と続く慣習や由緒が共存し、バランスをとりながら漁業社会が形成されていたのです。
編集部
なるほど。ほかにも琵琶湖の揉め事のエピソードはありますか?
鎌谷
「藻草(もぐさ)」の例があります。藻草というのは水草のことなのですが、当時の農家はこれを発酵させて肥料にしていました。でも、漁業をする側からみると藻草は魚の棲みかであり、産卵床であり、漁獲に直結する大切な場所という認識でした。藻草は双方にとって必需品ということであり、当然ながら争論となり、訴訟に発展したという記録も残っています。
編集部
藻草の事例から推測するに、当時から、資源管理といった現代にも通じる視点を持ち合わせていたのでしょうか。
鎌谷
今のような「環境的な配慮」という観点があったかは疑わしいですが、少なくとも極端な獲り方をしない、小さなサイズを獲らないように網の目合を大きくするなどのルールを課していた記録はあります。科学的なデータを持っていなくても、過去の記憶や伝承によって、やってはいけないことに関する情報が受け継がれていたようです。
編集部
資源を枯渇させるのではなく、長く獲り続けられるように経験則が受け継がれていたのですね。
鎌谷
これらは漁業の現場でしか分からない情報なので、漁民の知恵なのだと思います。江戸時代というのは、漁民や農民がそういう主張をきちんとして、それを役人が訊いて、専門知識として尊重し、制度に反映させるという世の中だったんですよ。思いのほか意見が通る世界だったと言えます。安定的な税収を維持するという意味で、産業として受け継いでいこうという意思があったのではないでしょうか。
編集部
現代の漁業にもヒントになる事例は、他にもありますか?
鎌谷
村上藩(いまの新潟県村上市)では、「種川の制」と名付けたサケの天然増殖法を確立しました。自然の特質を生かした生業、資源保全を意識したこのような取り組みが、江戸時代から行われていたことは、とても興味深いことだと思います。
私たちの取り組みも200年、300年後の人たちにどのように評価されるかという、未来的な視点が必要なのかもしれませんね。
※川の瀬に柵を作って遡上したサケを囲い込んで産卵させ、サケの稚魚が川を下る翌春は一切の川漁を禁じるというもの。このルールを確立させることでサケの回帰率が上がり、村上藩の財政を大きく潤したといわれている。
編集部
日本人はとても長いあいだ海と関わってきました。その中で沢山の恵みを得てきましたし、度重なる災害も乗り越えてきました。現在は、漁業資源の減少、海水温上昇、海洋ごみの問題など、海に関する多くの問題が顕在化していますね…。
鎌谷
テレビのニュースとかインターネットの記事で見聞きする海に関する環境問題で「海が大変なことになっている」とまずは問題意識を持つだけでもいいんです。それを入口に、ニュースや知見に触れて自分なりの考え方や、海との距離感をつかめればと思います。
編集部
危機に対して、なにもできていないような焦燥感があるのですが。
鎌谷
海の課題について長い時間付き合い、これまで多くの専門家が多種多様な研究を行っていますが、全てのことに答えが出ている訳ではありません。ですから、急に答えを見つけようとしても難しいです。自然との付き合いは、長く続いてきたし、これからも続いていくものです。そういう意味では人と自然の関係は常に「過程」なんですよ。その過程の中で少しだけ問題意識を持って「考え続ける」というのが、今後何世代も何千年も続いていく海や自然との関係をより良いものにしていくことにつながると思っています。
編集部
鎌谷先生のお話を聞いていて思ったのは「考える」ということの入口は多様であるべきだなということでした。例えば、何か水産物を食べて「美味しいな」と思って、その魚のことに興味を持って調べてもいいし、この料理の「ルーツはなんだろう」と、文化とか歴史の方からアプローチしてもいいし、どんなことからも「考える」につななげられると感じました。そうやって知って、考えることを楽しみながら深めていくことが、海を自分ごとになる一番の近道のように思いました。
インタビュー・写真/児浦美和 text/品川真一郎