CONTENTS
魚食文化は「海のシルクロード」で生まれてきた
- 世界の食材と融合させて、料理を“日本化”させる適応力
- 家庭のキッチンから生まれる無限のアイデアに魚食文化の未来がある日本
魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声
魚食の前提はどのように作られてきたのか
各国・郷土料理研究家
世界の料理 総合情報サイト『e-food.jp』代表
魚はどのように日本の食卓に根づいてきたのだろうか。 寿司や刺身といった日本の料理も、その背景には海を通じた文化交流がある。 外から来た食材や技法は、地域や家庭の中でかたちを変えてきた。 魚食文化の歩みをたどると、いまの食卓の見え方も変わる。
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魚食文化は「海のシルクロード」で生まれてきた
鮨や刺身は、世界中で知られる日本食である。海外では、日本人が生の魚を食べる文化そのものが驚きをもって語られることも多いが、特徴は生魚を食べることだけでない。むしろ、その背景には長い文化交流の歴史がある。
「鮨というと日本の料理というイメージが強いですが、実はそのルーツをたどると、もっと広いアジアの文化圏に行き着くんです。たとえば、“なれずし”。魚と米を長期間発酵させた保存食ですが、この文化は東南アジアから中国南部にかけて広く見られます。つまり、日本の魚食文化は、日本だけで生まれたものではないかもしれない。日本のオリジナルではなく、海を通じた文化交流の中で発展してきたものと考えられます」
琵琶湖の鮒ずしに代表されるなれずしは、寿司の原型ともいわれる料理である。
「私は魚食文化を“海のシルクロードの文化”だと説明しています。陸のシルクロードと同じように、海を人々が往来することによって、食材、技術、文化もともに移動し、伝来した場所で料理も変化していくんです」
発酵鮓は、やがて押し寿司や箱鮨へと変化し、江戸時代には握り鮨が誕生した。魚食文化は、交流と時代の変遷を経て、進化してきたのだ。
「鮒ずしを起源として、変化し、日本ならではの魚食文化も誕生しています。たとえば、福井県の若狭湾。たくさん獲れたサバは、京都とつながる『鯖街道』を通じて輸送されていました。当たり前ですが、当時は冷蔵庫がありません。そこで、塩で締めて発酵させたサバを使った鯖鮨ができました。福井県の若狭地方や越前海岸地域の、へしこもそうですね。サバを塩漬けして米糠に1年以上漬け込んで熟成させた発酵食品であり、保存食ですから」
海外に目を向けても、海に面している国では、魚を保存する文化が盛んだ。
「ポルトガルの市場へ行くと、バカリャウ(タラの塩漬け)が山積みです。かつてはキリストのなかでもカトリックの影響が強いポルトガルは、クリスマス前など肉を食べない期間の習慣があって、代わりに魚を食べたんですね。大航海時代、海上でもその習慣は守るべきものでした。バカリャウは航海時のタンパク源ともなる保存食であると同時に、宗教的でも必要とされるものだったんです。そのタラは、ポルトガル沖ではなくノルウェー沖、北海で獲れたもの。バイキングがタラを塩蔵していて航海に出て、ポルトガル人に教えたという話があるんです」

青木さんは、ノルウェーの都市ベルゲンを訪れた際、干しタラをトマトベースで煮込んだポルトガル風のタラ料理・バカラオを食べた。かつて、ドイツのハンザ同盟商人が拠点とした歴史的背景から、干し鱈の輸出も盛んだった名残だという。
海を通じた交易は、魚の保存方法や食べ方を世界各地へ広げていった。
「製法のオリジナルは海外から入ってきたものかもしれません。しかし、誕生から数十年、数百年が経つと、伝統食、郷土料理として、その土地にすっかり定着します」
海洋大国の日本の魚食は、時に海外由来の技法を柔軟に受け入れ、再解釈。地域資源と四季性で磨き上げるという進化パターンで発展を遂げた。それは、日本の食文化が“得意”とすることである。
日本の食文化の特徴のひとつは、海外から入ってきた料理を独自の形に変えていくことだ。分かりやすい代表例は、明治以降に入ってきた西洋料理。とんかつ、エビフライ、オムライスは庶民的洋食になった。
「日本の食文化の特徴は、外から来たものを受け入れて、自分たちの食材や生活に合わせて変化していくところです。私はこれを受容・適応・再発明の文化と考えています。洋食文化が花開いた明治以前の代表例は、天ぷらですね。ポルトガル由来の料理という説がありますが、日本に入ると江戸の屋台文化の中で発展していき、いまの天ぷらになりました」
魚に焦点を当てると、もっと興味深いことがある。
「魚をすり身にする文化は、東アジアに広く存在します。タイには白身さかなのすり身揚げのトート・マン・プラーがあり、一時流行ったタイ風さつま揚げは、レッドカレーペーストとこぶみかんの葉でスパイシーに仕上げたもの。一方、日本では魚の身をすり潰して加工する『すり身文化』のうちのひとつ、さつま揚げは全国にありますが、ほかには愛媛県宇和島のじゃこ天、静岡県の黒はんぺんなど地域独自のものも。各地で異なる食品が生まれ、バラエティに富んでいるところが面白いですね」

いわゆる「揚げかまぼこ」のさつま揚げは、日本での発祥の地は鹿児島。「つけあげ」の名称で親しまれている。江戸時代に薩摩藩28代当主・島津斉彬が、紀州はんぺんやかまぼこにヒントを得て、高温多湿の鹿児島の気候に合わせ保存性が高まるように揚げたや、琉球料理の揚げかまぼこ・チキアーギがなまったのが「つけあげ」という説がある。
その土地に合った形で仕上げ、調味料も土地のものを使う。これを生魚文化にあてはめて世界を見ると、気づかなかった発見もある。「実は世界的に見れば、生魚文化も決して珍しくはありません。ハワイのマグロやサーモンなどの魚介類をしょう油やごま油などで漬け込んだポキ、柑橘果汁でマリネしたペルーのセビーチェ。タヒチには、ココナッツとライムで和えた生魚のマリネであるポアソンクリュがあります。これはフランス語で、ポアソンは魚、クリュは生の意味。このように、生魚を食べる文化は世界各地にあるんですよ」
日本ではしょう油が基本のため、柑橘類を使うと刺身ではないと思ってしまうが、その限りではない。高知県には、柑橘類のブシュカンをメジカ(カツオの幼魚)にたっぷりとかけて食べる文化がある。その土地で多く獲れる魚を、生産量が多い農産物を使い、気候により工夫をするため食べ方は異なるが、広い世界で見ると血縁関係なのだ。

こうした文化の変化は、必ずしも料理人の世界だけで起きてきたわけではない。むしろ、日々の食卓で生まれた工夫が新しい食べ方として広がっていくこともある。
日本の魚食文化は、伝統料理だけで成り立っているのではない。海外由来の食材や調味料を積極的に取り入れた、自由な組み合わせから生まれた料理もある。象徴的な例が、コンビニおにぎり不動の1位のツナマヨおにぎりかもしれない。1983年にセブン-イレブンから発売されたが、開発担当者が小学生の息子がごはんにマヨネーズをかけて食べてる光景からヒントを得たのが誕生のきっかけだという。
「そもそもマヨネーズと白米の組み合わせが当時、衝撃的だったと思いますが、ツナと混ぜておにぎりの具にする。この自由な発想が、日本の魚食文化の面白さなんです」
こうした流れは、日本の食文化では珍しいことではない。たとえば、タラコスパゲティ。元祖は渋谷のスパゲティ専門店『壁の穴』だが、現在は市販のパスタソースの定番になり、家庭で気軽に食べられるようになった。カレーは町おこしグルメでよく選ばれるが、地元で獲れた魚介類を使ったものが全国に多く、北海道苫小牧ではホッキ貝カレーがソウルフードになっている。
「そして、日本では、家庭料理の中で新しい食べ方が生まれていくんです。料理研究家が考えた料理だけじゃなくて、普通の家庭の工夫が広がって、食文化になっていく。そこがすごく面白いところですね」
たとえば、近年人気のサバ缶料理もそうだ。もともとは保存食だった缶詰が、サバの健康効果に注目されたことが後追いになり、トマト煮やパスタ、カレーやサラダなど、家庭の工夫によって日常料理として再解釈されていく。
「魚って、家庭では扱いが難しいと思われがちですが、缶詰や加工食品をうまく使えば、魚料理はもっと身近になります。そういうところから、新しい魚の食べ方も生まれてくると思うんです。もちろん、現在まで残ってきたものの“理由を考えて大事にしていく”ことも重要です。でも、そればかりだと行き詰まってしまいますので、いろんな文化と出会い新しいものを。特に料理人の方が生み出していくことで、さらに魚食文化は世界も注目していきます。たとえば、カニカマは SURIMI と呼ばれフランスをはじめヨーロッパで大ブーム。日本、そして世界との融合によって、魚食文化は発展し、新しいものを作ってきましたし、これからも作っていくんだと思います」

新しい料理のアイデアは、いまやレシピサイトや個人のSNSを通じて、国内、そして世界へと広がっていく。家庭料理はプロの料理人とは違い、決まった型がない。日々の台所の工夫がネットを通じて日本全国、時に世界の食卓に共有され、やがて食文化の一部になることもある。
「魚食文化は、これからも変わっていくでしょうが、日本にはもともと変化を受け入れて、新しい料理を生み出す文化があります」
外から入ってきた食材や技術を受け入れ、地域の食材や生活に合わせて形を変える。そして、家庭の食卓の中で、新しい料理として定着する。この繰り返しが、日本の魚食文化を育ててきた。
「日本の魚食文化は完成されたものではなく、いまも進化している文化なんです。海のシルクロードによる交流が続く限り、新しい料理は生まれていく。だから私は、日本の魚食文化の未来はとても面白いと思っています」
料理人の技術や専門店の料理が文化を支えてきたのは確かだが、もうひとつ重要なステージは家庭のキッチンだろう。日々の食卓の小さな工夫こそが、日本の魚食文化を次の時代へとつないでいく。
各国・郷土料理研究家
世界の料理 総合情報サイト『e-food.jp』代表