海の食文化体系
2026

魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声

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魚の価値はどこで立ち上がるのか

旬という時間が和食を支え、魚の価値を築いてきた

現場の声

近藤 一樹

和食の伝道師
2014年「なにわの名工」受賞
元辻調理師専門学校専任教授

旬という時間が和食を支え、魚の価値を築いてきた

和食において、魚と出汁は疑われることのない前提として扱われる。 だが、その前提は、なぜ生まれたのか。 料理人・近藤一樹は、和食を「技術」としてではなく、「環境の中で生まれた必然」としてとらえる。魚はいる。 だが、漁に出なければ獲れない。その矛盾のなかで、日本人は食べる方法を編み出す。すべての始まりは環境に適応するための知恵だった。

CONTENTS

  • 魚と出汁が和食の土台になった理由

  • 地域差と旬が和食の味を形作ってきた
  • 和食を支えてきた条件が揺らぐ現場の危機

魚と出汁が和食の土台になった理由

和食は日本が長い歴史をかけて育んできた、食体系である。ひとつの料理ではなく、食材、出汁、技法、そして所作までも含め様式美として完成しているものだ。では、和食という食体系の中で、魚をはじめとした海産物の立ち位置はどこにあるのだろう。

「和食の中の魚、魚食ということは、かつお節も含めて100%以上大切であるし、食材として使ってきた献立が成立してきたと思いますよ。昭和の高度成長期を経て、洋食文化が入ってきて、徐々に米を食べなくなった、パンが美味しいと変化した現実はありますけれども。和食と魚は切っても切れない。魚、海イコール和食ですよ」

和食における魚は、単なる食材ではない。『時代と共に透明化していった、かつお節という食材』(大塚麻衣子さん)で詳細が語られているが、魚は外食、家庭料理を問わず和食の土台を築き、常に中心にあった。その背景には、日本特有の環境がある。

「日本の国土の75%が山間ですからね。もちろん、海に囲まれてはいるので海岸沿いの民族に関しては、海産物、貝も含めたものが食べられているんですが、山間部に住んでる人は海のものをほとんど食べられない時代があったわけですよ。ということは、山の幸を干した魚などと物々交換しないと魚のタンパク質を摂取できないですよね」

魚は存在する。だが、すぐに手に入るわけではない。この条件が、日本の食文化を大きく規定した。

「干したり、燻したり、漬けたり、塩蔵したり、蒸したり、締めたり。そういう手法や技法が生まれてきたのは、やっぱりその環境の中で、人間が生きるためにやってきたことですよね。美味しいものを食べようという思いや生きるための糧です」

保存するための技術が、結果として味をつくる。さらに、流通とも結びつく。

「北前船で北海道から関西まで持ってくるのに、何か月もかかる。でも、腐らないようにするための知恵があった。干したり、塩蔵したり。つまり塩を当てる。それを水で戻して、さらに煮る、焼くことをしてきた。日本の自然環境の中で培ってきた知恵そのものが、技術として集約されてきたんじゃないでしょうか。その技法にプラスアルファ、美味しく食べられるような知恵というのが働いて、和食の技法が高められていったという」

流通によって各地に持ち込まれた技法は、地域や家庭の中で受け継がれていった。こうして蓄積された知恵は、やがて社会へと押し出される形で磨かれていく。

「もちろん家庭のものは売り物じゃなくて、身内のなかで食べるという、ひとつのファミリーネットワーク的な部分だけしかありません。飲食店は経営として世の中にこの料理は美味いですよ、という風にやってきた。他店の似たものよりはうちの方が美味しいとか。競争が生まれて、より技術の精度は高まってきたかもしれないですよね」

知恵はいつのころからか外に開かれ、競争の場に置かれた。同時に、それは単なる調理を超えた広がりを持ち始める。

「食べる行為というのは、ただそれだけでなく、文化になり習慣づいていくものですよ。祭り、結婚披露宴、子どものお祝いなど、祝膳などの付加価値もありますから」

昭和の結婚披露宴、子どものお食い初めには尾頭付きのタイが並ぶ光景が一般的だった。食べることは、行為から習慣へ、そして文化へと変わっていく。

「やっぱり付加価値に、すごく日本人の知恵が現れていると思いますね。僕はこれが食文化のひとつの大きな特徴、日本らしさじゃないかなと」

和食は、美味しさを起点に発展したのではない。環境と制約のなかで、食べるために編み出された技術の集合体だった。

地域差と旬が和食の味を形作ってきた

和食の技法は、ひとつの型として均一に育ったわけではない。同じ日本の中でも、土地の条件、水、流通の違いによって、味の組み立て方そのものが分かれてきた。

「昆布だけでいえば、なぜ関西で重宝されたか。理由は水です。北前船が福井県の敦賀で荷を下ろして、真南の京都へ行くんですよ。京都は水が良いから、昆布水が美味しくなる。昆布で出汁を取る文化が生まれたわけです。そして、何千年の歴史のなかで、昆布と水だけでお吸い物や煮物を作る料理となったから、非常に高級的な料理や料亭も含めると、いまでもやっぱり京都が良いとなるんですよね」

一方で、同じ出汁でも、関東では違う形に育っていく。

「江戸の文化はカツオです。味が濃いという食文化の特性がありますが、これは濃口のしょう油を使うからで、お吸い物でもお蕎麦でも煮物でも、関東は色が濃いのはこのためです。もともとは湯浅和歌山から太平洋を渡って銚子に湯浅しょう油がいって、作られるようになったんですけどね。それで、しょう油はアミノ酸のうま味があるから、かつお節だけでも美味しい。昆布を使わず、かつお節で出汁をひく文化が高まったんだと思います」

同じ「和食」と呼ばれていても、その輪郭は地域ごとの条件によって変わっている。しかも、その違いは食材だけでなく、時間の感覚にも及ぶ。和食にとって重要なのは、どの地域の食材かだけではない。いつ食べるかもまた、同じくらい重視される。

「旬です。春夏秋冬のことだけじゃないんですよ。上旬、中旬、下旬と、実は旬は月3回ある。10日毎に味が変わっちゃう、ものが変わる。これを根底にして、料亭の主人は献立を10日おきに変えるものなんです」

食材は固定されたものではない。和食は、同じ魚や野菜を年中同じように扱う料理ではなく、変化そのものを前提にしてきた。

「それをうまく使ってるのが、“走り”、“旬”、“名残”。走りっていうのは出たて、いま出たよ。旬はいまが美味いよね。名残は、お名残惜しいけど、明日からもうないよ。という風になっているんですよ」

その感覚は、日本語の繊細な言い回しと結びつきながら、料理人のなかにも刻まれている。

「タイはいまや年中あるイメージでしょう。でも、料理人からしたらやっぱり春と秋。この概念が打ち砕かされたら、魚食に関する議論が総崩れになるくらい大切なことなんですよ。これは絶対的条件だと僕は思う」

地域によって味が分かれ、十日ごとに旬がうつろう。和食とは、そうした差異や変化を、そのまま料理に組み込んできた体系だった。

和食を支えてきた条件が揺らぐ現場の危機

だが、近藤さんが語る「絶対条件」は、静かに揺らいでいる。地域ごとの差や、旬の感覚がなくなったわけではない。ただ、それを感じ取り、料理を考える力そのものが現場から抜け落ちつつある。

「旬を知らない料理人が増えてきた。食材も年中あるから、いつでもタイを使っちゃえよ。みたいな感じあるのは否めないですね」

かつては、“手に入らないこと”が前提にあった。限られた食材で、何をどう使うかを考えることが、料理そのものだったのである。

「ひと昔前なら、中学を卒業した15、6歳で店に修行に入って10年やって25歳。料理人の世界でいえば、まだ赤ん坊ですよ。20年やって、やっと料理ができるかな。そんなもんです。いざ自分の店を持つとなったら40歳になっているのはザラだったので、いまと比べたら、昔の人の料理人の方が年齢層は高いですね」

現代は20代で独立、店を持つ人も珍しくなった。だが、それは年齢の問題ではない。

「和食でお話すると、どこまで旬の食材を知っているか。魚、野菜を問わずね。それから料理の手法なり技法をどこまで知っているか、栄養のことをどこまで認知しているかも必要になってくる。それから、人をもてなす心がどこまで通じられてるのか、あるのかないのかっていう。そういうアウトサイド的な要素っていうのもすごく僕は大事だと思うんですよ」

和食の技術とは、魚をさばく技術だけではない。その全体をどう扱うかという話でもある。

「お客さんもある程度の知識、料理を知っておかないといけない。もちろん出す側はそれの倍を知っていかないといけないですよ。器のこと、お酒のこと。和食がひとつの食文化として成り立っている背景にある歴史があるわけですから」

和食は、作る側と食べる側、その関係のなかで成立してきた文化である。どちらか一方だけでは、成立しない。だからこそ、「伝える」という行為に重きを置く必要があると説く。

「やっぱり和食の奥深さとか、奥義とか、こう何て言うのかな……。培ってきたいままでのことを、お客様に対して伝えることはできないのか。そこまで料理人が考えることが僕は大事だと思いますね」

和食は、料理ではない。技術だけでもない。地域、流通、季節、食べ方までを含めて積み重ねられてきた、関係の体系である。そのすべての始まりには、日本人が生き延びるための知恵があった。

プロフィール

近藤 一樹

和食の伝道師
2014年「なにわの名工」受賞
元辻調理師専門学校専任教授

旬という時間が和食を支え、魚の価値を築いてきた
大阪府生まれ。辻調理師専門学校で教授も勤めたベテラン料理人。サンフランシスコ日本国総領事館の公邸料理人をはじめ、テレビ『料理天国』(TBS系)、『どっちの料理ショー』(日本テレビ系)などメディア出演多数。 2014年「なにわの名工」を受賞、2017年「全技連マイスター認定」を表彰。全国の調理師専門学校で教鞭をとる傍ら、レストランコンサルティングや魚料理に特化した『Bon Quish』でメニューの開発・監修も担当する