CONTENTS
消えたのは素材ではなく、使われ方だった
- 素材は、使い道を変えることで生き延びてきた
- 変わり続けたものだけが、最後に残っていく
魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声
魚を食べる関係はどうつなぎ直せるのか
寒天の製造・販売をする
寒天のリーディングカンパニー
かつて家庭の台所にあった寒天は、いまやその姿をほとんど見かけなくなった。 しかし、需要が消えたわけではない。 食品から医療、化粧品まで、形を変えながら使われ続けている。 国内メーカーが減少するなか伊那食品工業株式会社は 約 50 年に渡り増収増益を続けてきた。 その背景にあるのは、変わり続けることを前提とした開発と経営だ。 海藻という限られた資源を扱う軌跡は、魚食の未来を考える手がかりにもなる。
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消えたのは素材ではなく、使われ方だった
寒天の原料は、テングサやオゴノリなどの紅藻類である。約400年前の江戸時代初期に、京都の旅館『美濃屋』の主人・美濃屋太郎左衛門により製法が編み出されたとされる、日本の発明品だ。ところてんを外に置いたままにしておいたところ、冬の夜の寒さで凍り、それが日中に溶けて水分が抜け出し干物状になったことにヒントを得て製法が編み出されたと伝わる。
伊那食品工業株式会社がある長野県は、諏訪地方を中心に寒天作りが盛んな地域。海から離れているが、寒暖差が適していたこと、農家の閑散期の副業として江戸時代末期から作られていたこと、明治38年(1905年)の中央本線開通による輸送コストの圧縮という背景がある。
寒天製造の最盛期は昭和初期。戦中は一時生産が減少したが戦後に再興し、1970年代には最盛期近くまで復調。家庭の台所の乾物置き場には棒寒天が常備されているのは、普通のことだった。牛乳寒天はおやつや給食の定番、寒天ゼリーは仏壇のお供え物など日本人の生活の身近にあった寒天だが、時代の移り変わりにより常備されなくなってきた。
この状況下でも創業以来約50年間、連続増収・増益・増員を続ける「年輪経営」がビジネス界でも注目される、伊那食品工業株式会社。営業を統括する、取締役営業本部長の湯澤正芳さんに話を聞いた。

「諏訪の天然の寒さを利用した寒天は、40年前はいまの10倍以上の生産量がありました。寒天メーカーも40社ほどあり、家庭でも棒状の寒天が当たり前のように使われていた時代でした。生産量が落ちたのは、家庭で料理をしなくなった、という要因もあるとは思うんですね」
現在はメーカーと呼べる規模で製造しているのは、わずか3社まで減少した。40年前の隆盛からすれば、寒天は衰退した食材とも考えられる。ところが、実態は違った。
「需要自体は、30年ぐらい2200から2300トンぐらいでずっと変わっていません」
家庭から消えたように見えるのに数字は横ばい。寒天は、新たな使われ方へと居場所を移していたからだった。
「見えないところで使われているんです。あんみつの寒天や和菓子、和食という昔からの用途もありますが、それだけではありません。ゼリービーンズは国内では寒天が使われることが多く、ヨーグルトやチーズなどにも使われています。ところてんやゼリーのように意識して食べるもの以外に、使われているのが寒天なんです」
寒天は“固める、支える、整える”といった性質を活かし、加工食品で使われ続けている。食卓の表からは退いたかのように見えるが、素材が消えたわけではなく、使われ方が変わっただけであった。
かつての主力用途が縮小していく中で、なぜ寒天は生き残ることができたのか?答えは明快だった。
「用途開発です。これが一番重要なことでした」
社員約500名のうち1割を占める研究員が開発を支え、現在では約200種類の寒天を扱うまでになった。粒状・糸状・粉末・錠剤と形もさまざまで、さらに、その硬さ、溶けやすさ、食感、反応の仕方までも含めて設計されている。単純に“固める素材”ではなくなっていた。
「もっとも多く使われているのは、ゼリー飲料です。最大の理由は、タンパク質を固められることですね。ほかのゲル化剤だと反応してタンパク質が凝集しますが、寒天は中立でほかの成分の影響を受けにくい性質があります。プロテインをきれいに滑らかに固めることができる、唯一のゲル化剤なんです」
アルミパウチに入った機能性ゼリー飲料の国内市場は、2025年で1000億円規模を超えるというデータがある。固める用途という点では、日本独自のハードタイプのヨーグルトも同様だ。当初は道の整備が整っていない時代のため、配送で商品が崩れないようプリン状に固めていたが、現在ではヨーグルトの一部となった。いわゆる機能性表示食品のヨーグルトだ。
「チーズの一部には、フィルムがはがれやすい、しっとりした口当たりになるために使われています。これは、寒天の保水効果によるものです」
寒天は、固まればいい場面だけで選ばれているわけではない。何かと反応しないこと、味を邪魔しないこと、見た目や舌触りを損なわないこと。そうした“使いやすさ”が、新しい用途を引き寄せてきた。

「寒天の最大の特徴と言ってもいいのが、フレーバーリリースなんです。素材の味を引き立たせる。小豆の味を損なわずに、美味しい風味を素直に表現できるからこそ、和菓子の世界で使われ続けてきたんですね」
つまり、寒天は“自分を主張しないこと”で残ってきた素材でもある。味を変えず、食感や形状を整え、必要な機能だけを足す。その性質が、和菓子や従来の使われ方ではなく、時代ごとの製品に入り込む余地を作ってきた。
その用途は、食品の外にも広がっている。培地用寒天は想像しやすいところだが、調味料を包んだり食品のセパレーターに使えたりとプラスチックの代用品になる可食フィルム。さらには、化粧品にまで使われるのだ。
「化粧品メーカーさんにサンプルの柔らかく固めた寒天を持参した時に、手に塗られたんですよ。当社は食べることを想定しているので驚きましたが、お相手にとっては“感触がいい”になったんです。化粧品メーカーさんは、望んでいたものがあった、ということで率先して使われたこともありました」
食べる、ではなく、塗れる。その発想の転換は、寒天の側にあったというより、開発を通じて“見つけにいった”結果だった。
「我々はなかなかお客様のニーズがわからないので、さまざまな業種の方に新しい寒天を持っていき、何か使い道はありませんか、と提案します。そうすると、お客様によっては『これはうちが求めてたものだ』となりますね」
家庭用の寒天についても、同じ姿勢は変わらない。味噌汁に入れる糸寒天、カレーやラーメンに加える粉末寒天、野菜炒めの水分を吸わせる使い方まで、生活の知恵として拾い上げてきた。必要とされる場面を増やしていけば、素材は残る。
「用途開発とか製品開発をして、その需要量を維持しているんです」
同じ素材でも、使い道が変われば生き延びる。寒天は、それを実際にやってきた。
ただし、用途開発だけでここまで来たわけではない。伊那食品工業株式会社が寒天メーカーとして残った背景には、もっと入口での判断があったのだ。それは、寒天を「相場商品」にしたままでは未来がない、という認識だった。
「寒天は相場商品でした。原料が上がれば、それに伴って寒天価格も上がります。年で倍上がったこともありましたからね。このままでは寒天の未来はない。相場を作らないようにするためにはどうしたらいいか、といったら、原料を備蓄するっていう発想になったんです。相場次第で品質が安定しないのであれば、当然、食品メーカーさんも見向きもしません。昔のように屋外で寒暖差を利用した製造では衛生面の懸念も出てきますので、乳業メーカーさんは使おうとも思わないですよね」

寒天の材料の紅藻類は、魚介類と同様に自然環境に左右されるものである。衛生観念も昭和時代のままでは受け入れられにくい。寒天を“使い続けられる原料”に変えるために、条件整備は必至であった。
「世界中飛び回って原料開発を行いました。現在は、主にチリやモロッコ、韓国、インドネシアなど世界数十カ国から原料を調達しています。インドネシアではエビ養殖場を活用した、海藻の養殖も始まっています。やはり天然の素材だけでは不安定な部分もあるので養殖を推進したのですが、その背景には天然資源を獲りすぎて枯渇をさせず、いかに残しつつ寒天を作り続けられるかという模索もありました」
ここまで来ると、話は寒天だけのものではなくなる。限られた海の資源をどう残すか。その答えのひとつが、寒天にあった。
多くの寒天メーカーが事業を断念するなかで、伊那食品工業が事業を継続できた理由とは、なにか。
「変化、ですかね。変化し続ける」
守るだけでは足りない。使われ続ける仕組みを作らなければ、資源も文化も残らない。寒天は、その現実をすでに引き受けてきた素材でもある。
「弊社の最高顧問が昔から言っているのは、『会社はジェット機と一緒で、常にエンジンを回し続けないと落ちちゃうよ』です。現状維持では、いつか落ちるということです」
変わることは、伝統を壊すことではない。むしろ、変わらなければ残らない。そして、その変化は国内だけ完結するものではない。ロサンゼルスを拠点にする日本人の起業家・三木アリッサさんは海藻和菓子ブランド、海藻機能性飲料という海藻フードテック事業を展開。その開発には、伊那食品工業株式会社がかかわっている。
「海外の人たちに見ていただいて、逆にそういう発想を日本に持ってきたいという意向もあります。世界でいろいろな食べ方をされた和食が、また日本に戻ってきて、さらに発展していく未来もいいかな、と考えています」
食文化は、守るものではない。変えないことで残るのではなく、変わり続けたものだけが残ってきた。寒天がたどってきた軌跡は、それを静かに示している。
寒天の製造・販売をする
寒天のリーディングカンパニー