海の食文化体系
2026

魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声

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魚の価値はどこで立ち上がるのか

琵琶湖が映す「食べる」という営みの変化と継続

現場の声

川西 豪志

寿し・日本料理『ひさご寿し』店主
日本庖丁道清和四條流・師範

琵琶湖が映す「食べる」という営みの変化と継続

海の魚とは別の魚食が日本にはある。川や湖で獲れる淡水魚だ。 しかし、都市化や流通の変化のなかで食卓から姿を消し、料理人の手からも離れていった。 一方で、環境と食が切り離せない琵琶湖では、暮らしのあり方がそのまま魚の味に現れる。消えたのは魚ではなく、かかわり方なのか? もうひとつの魚食、淡水魚の現在地が琵琶湖に現れている。

CONTENTS

  • 淡水魚は、なぜ日常の食卓から姿を消したのか

  • 琵琶湖に凝縮された、環境と食の循環構造
  • 「雅」と「鄙」の間で問い直される、食との関係性

淡水魚は、なぜ日常の食卓から姿を消したのか

日本のもうひとつの魚食といえば、川魚や湖魚という淡水魚だ。海に囲まれた国という印象が強いが、河川と湖沼の水系の方が身近な地域も少なくない。日本の河川は、一級河川、二級河川、準用河川は合計3万本を越える水系ネットワークを築いており、湖沼は約480湖。国土の約75%が山間部の日本では、河川・湖沼は生活に近い存在でもある。

その湖沼で誰もが思い浮かぶのは、国内最大の面積・貯水量を誇る滋賀県の琵琶湖だろう。しかも、約400万年前に誕生した日本でもっとも古い湖のため、京阪地区の食文化の形成に寄与している。

「琵琶湖の水を資源にして生活している人は、滋賀、京都、大阪、兵庫の一部を入れると、1400万から1500万人ぐらいいます。そのなかで淡水魚を食べる食文化が従来あったのは事実なんですね」

事実、滋賀県の郷土料理のひとつ、えび豆は、京阪地区のスーパーの日配品売り場にいまもひっそりと並ぶ。必ずしも琵琶湖産とは限らないが、食文化として残っている。

「ところが、都市化が進んでいくなかで、京都、大阪は淡水魚を食べることも、生業としての漁業も徐々に衰退していきました。琵琶湖の資源が、ノスタルジーも含めてわずかに残っている状態です」

滋賀県近江八幡市生まれ育ちの川西さんが子どものころは、「食べに行くもの」でも「買うものでもなかった」と振り返る。昭和後期まで琵琶湖の湖魚は現役だったのだ。

「川魚は近所の人がくれるもの、と子ども心に思っていました。アユは希少価値が高くなってますけど、昔はたくさんもらったから、佃煮にしたからと近所に振る舞う人もけっこういましたね。近江八幡は沖島という大きな港もあったので、夏になったらアユは誰かからもらうもの。買う魚ではなかったです。コイの洗いなんかも、おっちゃんたちが町内会の集まりで食べているので、子どもたちが時々つまむという。冠婚葬祭の魚だったので地域的には特別で日常ではなかったです」

しかし、そもそも琵琶湖周辺では食文化の構造が異なっていた。

「滋賀県に琵琶湖はありますが、海がありません。タンパク質は魚ではなく豆に頼っていました。ほとんどが豆類で、たまに獲れた魚介類をちょこっと食べるくらいの割合なんです。主食がごはん、野菜があってたまに魚を一緒に炊く。祭りは特別な時にお刺身として食べるくらいで、海の近くみたいに毎日のように魚を食べる文化ではありません」

スジエビと大豆を甘辛く煮た滋賀県の郷土料理。安価な材料で保存もきくため、日常食として食べられていた/
画像出典:農林水産省「うちの郷土料理」

魚を過度に獲らなくても食生活が成立していた。しかし、そこに変化が起きる。

「家庭の食事がグローバル化しているなかで、海の魚と同じように淡水魚を食べる文化も衰退しています。なおかつ、琵琶湖の場合は水質変化も大きかったと思います。私の子ども時代、80年代は家庭からの生活排水、なかでも洗濯水が川に流されて泡立っているシーンを見ながら育ちました。その水中にいる魚を食べようとは思いませんよね」

急激な高度経済成長による工業排水と家庭からの合成洗剤の生活排水による河川の水質汚染が深刻化し、水質汚濁防止法が制定された時代だ。そこに、『魚食文化はどのように成立し、変化してきたのか』(濱田武士)で言及している、鮮魚の流通インフラの整備が重なった。

「中央市場から魚を仕入れるようになれば、マグロもイカもタイも使うようになります。これで、家庭だけでなく料理人の変化が起きました。昭和に料理人を育てるカリキュラムがフォーマット化されて、関西では京都や大阪の和食を中心に技術を習得していくようになったんです。そうなると、その教科書で習う料理だけで生きていく人が多くなるので、地域固有の淡水魚の料理そのものが、料理人のなかからも抜け落ちていったんです。しかも、ベテランが高齢化で引退していったので、知恵もどんどん失われていきました」

こうして、淡水魚は、食卓からも、料理人の手からも離れていった。

琵琶湖に凝縮された、環境と食の循環構造

琵琶湖には、滋賀県内の約460本の河川が流れ込んでいるが、出口は南の瀬田川1本のみ。そのため、極めて近い距離で循環が起きている。

「生活排水も、農業の水も、山の水も、全部琵琶湖に向かって流れます。その水で魚が育って、それをまた人間が食べて、また流れていく。こんな風に循環しているのが、もっとも海と異なる点ですよね。海は広いから薄まるけど、琵琶湖は閉じている。地域の生活がそのまま水に出る。滋賀県でどう生きてきたかというものの映し鏡なんです」

店の湖魚メニューの中心である琵琶湖固有種・びわます。
冒頭の写真は、びわますの炊き込みごはん「あめのうおご飯」で、現在は途絶えた調理法から発掘しメニュー化した

その影響は、琵琶湖に生息する淡水魚の味に直結する。

「海の魚と淡水魚の生理機能の違いは、水の浸透圧によって生まれます。海水は塩分濃度が高いので水分が抜けないように魚はガードしますが、淡水は逆に塩分濃度が高いのは魚体の方で、淡水が体に入ってくる。淡水魚はきれいな水に住んでいれば、きれいな水しか入ってこないので、泥臭い味にはなりません。でも、汚れた水ならば水分は消化機能によりお尻から出ていっても、泥臭い物質は体に溜まっていく。淡水魚は、水が悪ければそのまま味に出るんです」

そのため、魚種が同じでも漁業エリアによって味はまったく異なる。

「琵琶湖のなかでも水が流れている場所と、滞留している場所があります。流れている場所であっても、どの川から水が流入しているのかでも違うんですよね。そのため、河川流域で生活している人たちの排水、山の鉱物なども影響してきます。漁師のなかには、あの辺で獲った魚は食えないっていうのがちゃんと分かってる人もいますね。ほかにも、田植えの時期は田んぼをかき混ぜた泥水が流入するので、この時に河川流入域で漁獲された食べられないです」

水質、季節によっても味が変わる琵琶湖の魚は環境変化の影響をダイレクトに受ける。京都の料亭で高級食材として供される、琵琶湖の固有種であるホンモロコは平成期に絶滅の危機に瀕した。

「80年代に入り、琵琶湖の水質汚染を解消しようという動きを、近くで見聞きしてきました。そのうち、琵琶湖の護岸工事が始まって琵琶湖の淵をコンクリートで固め出すんです。ホンモロコは、岸辺の岩に卵を産むんですけど、護岸工事で産卵場所が無くなってしまった。どんどん減っていて、絶滅しそうだということになりましたね。一時期は、シシャモサイズの子持ちホンモロコは1匹1000円以上で取引きされていました」

ホンモロコも炭火焼き。コイ科の淡水魚で、骨もやわらかくクセが少ない。天ぷらや佃煮でも食べられる

しかし、護岸工事がほぼ行われていない近江八幡などの岸辺に産卵期の春に寄ってくるようになった。5年ほど前から、自然繁殖のフェーズに戻りつつあるという。環境が変われば、魚も戻る。

「雅」と「鄙」の間で問い直される、食との関係性

滋賀県に生まれ、琵琶湖のほとりで育った川西さんは、その変化を間近で見てきた。そして、『ひさご寿し』に高校卒業後に入社、ほかの地域で日本料理を学び、再び故郷と店に戻り、2代目として店の暖簾を守る。

そこで、「京都の市場から仕入れた食材を見ると、近江八幡産だった」違和感や出会いから、地元の食文化である琵琶湖の魚を中心とした料理を提供するようになった。

その背景から、魚とのかかわり方で思うところがあった。

「たくさん食べる必要はないんです。年に1回だけでも、しっかり美味しく食べる機会があればいい。今年は獲れなかったから食べない、今年は少ないらしいからやめておこう、という会話ができることの方が大事です。魚を食べ物としてじゃなくて、自分が食べる行為を生き方として見られるかどうかだと思うんです」

郷土料理・イサザじゅんじゅん。琵琶湖固有種のイサザを煮て食べる郷土料理で、「じゅんじゅん」は煮立つ音を表現しているという

これは、消費の問題ではない。気づきがあったのは、旅先のインドだった。

「インドの田舎町は電気もガスも水道もなくて、でも普通に暮らしてました。彼らは毎日、そこにある小麦や米や野菜をカレーにして食べている。煮炊きするのは、牛糞をわらと混ぜて作った燃料。ガスや石油は必要ないですよね。そこで、ふと思ったんですよ。ヒンドゥー教徒だから牛を殺さないわけですが、そもそも牛を食用にすると燃料が手に入らなくなる。穀物と野菜中心の食事だからタンパク質は、鶏肉や魚が獲れた時と極端に少ないとは思います。ですが、インドの田舎町では何百年、何千年単位でこうやって暮らしている。スーパー持続可能性という意味では、優秀じゃないですか?特別なことをしているのじゃなくて、自然の循環のなかで生きているということって」

そこにヒントがあると考えている。

「カッコよくておしゃれ、ゴージャスな生き方とは違うと思います。でも、持続的なものを守っていたインドの田舎町の生活からは、食と農業の関係、自然との共存などを学べると思いますし、いろんな示唆に富んだ生き方になると思うんです」

それは、川西さんが考えている、華やかで洗練されたものを志向する「雅」に対して、土地に根ざし、循環のなかで続いてきた暮らしは「鄙」そのものである。インドの田舎町の光景は特別ではなく、同じ感覚は琵琶湖のほとりにも確かにあったものだ。

その「鄙」の側にある価値を、どう現在に引き寄せるか。ただし、それを店でどう成立させるかは別の話だ。来店客の9割が地元客の『ひさご寿し』では、マグロの握り寿司を求められ、淡水魚だけで店が成り立つわけではない。

「地元の方は年齢が高くなるほど、琵琶湖の魚はもらうものですからね。お店で食べるものではない。それでも、琵琶湖のものや地元の食を持続できるように、メニューに組み込む。県外からいらした方には、琵琶湖の門前店として文化に触れていただけるようにしています」

現実と向き合いながら、少しずつ組み込んでいる。

右からすべて琵琶湖産のホンモロコ、ワカサギ、アユのにぎり鮨。酢と塩で締めてあり、凝縮された湖魚のうま味を味わえる

「平成の間に、技術や知恵がどんどん失われていきました。次の世代に残すために、明文化して、ネット上にアップロードしていく必要があると思っています。それと、水質環境は水産業、農業ともにいずれ大きな問題として返ってくる可能性が高いので、そこも何かアクションができればと。これを環境、食文化、調理技術、学術研究という複合的な学術研究を含めた話し合いの場につなげられたらいいとも考えています」

川西さんが目指しているのは、食材の保存だけではない。持続的なライフスタイル、それを次世代につなげながら淡水魚をどう位置づけるのかである。琵琶湖という閉じた循環のなかで、人は水と共に生き、食べ、また還していく。その関係をどうとらえるかは、まだ途中にある。

プロフィール

川西 豪志

寿し・日本料理『ひさご寿し』店主
日本庖丁道清和四條流・師範

琵琶湖が映す「食べる」という営みの変化と継続
滋賀県生まれ。高校卒業後、先代時代の『ひさご寿し』に入社し、料理人の道に入る。21歳で有馬温泉の料理旅館『竹取亭円山』に移り、別邸新館のオープンに携わるなど8年の修行を経て『ひさご寿し』に戻る。2015年にはミラノ万博日本食チームメンバー、日本庖丁道清和四條流の師範として山王総本宮日吉大社や近江神宮などの奉納神事も務める。