CONTENTS
原料は減ったのではなく、供給の前提が崩れている
- 原料に依存しない加工が、変化を受け止めている
- 商品だけを見る消費者がほとんど知らない、成立の条件
魚を「守る」と言う前に、
私たちはどれだけ魚のことを
知っているのだろう?
-海と食文化を巡る、15の現場の声
魚の価値はどこで立ち上がるのか
遠忠食品株式会社 代表取締役
『メイドイン東京の会』会長
海苔は不漁が続き、二枚貝はほとんど姿を消した。 江戸前の海で起きている変化は、もはや一時的なものではない。 東京・日本橋蛎殻町で大正 2 年から続く遠忠食品も、その影響を受け続けている。 それでも、つくだ煮は消えない。むしろ形を変えながら残っている。 資源が枯渇する時代に、食はどう成立するのか。 加工の現場から、その仕組みを追う。
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原料は減ったのではなく、供給の前提が崩れている
江戸時代に東京・佃島(東京都中央区)で、小魚や貝類をしょう油と砂糖で煮詰めた保存食として誕生したつくだ煮。加工される海の幸の素材は広がり、大正時代に海苔のつくだ煮が登場、桃屋『ごはんですよ!』のヒットにより食卓に定着した。時代のニーズに合わせ、一膳用の小分けパックやチューブ入り、減塩、無添加などが登場し、その人気は堅調である。
ところが、東京・日本橋蛎殻町に店舗を構える大正2年創業の老舗・遠忠食品の代表取締役社長の宮島さんは、言い切る。
「もう全然ダメですよ。海苔なんか不漁でもう3年ダメ」
海苔関連業市場は、数千億円規模を維持しているが、海苔だけでなくつくだ煮の材料が全体的に先細っていた。
「あとアサリなんかも全国的に全然ダメでしょ。ほんの数年前までいた二枚貝が、日本からほぼいなくなっちゃった。いまは稚貝をまいても、卵を産んでも、次が育たないの。1年で終わっちゃう。その理由を僕はよく分かんないんだけど、海洋大学の先生が言ってたんだよ。あとは、そうだな。昔は採ったアサリの半分くらいはシオフキ貝。アサリと似てるけど、違う貝だからね?シオフキ貝は煮てもアサリみたいに硬くならないから美味しいんだけど、問題は砂がいっぱい入ってること。それで、(千葉県)行徳の漁師がウチのために機会を作ろうと言ってくれたんだけど、そうしたら採れなくなっちゃった」
かつて“普通”に手に入っていたものが、引き潮のように次々と消えていく。もちろん、宮島さんは、その度に次の手を打ってきた。
「昔は色々とやったの。江戸前のアナゴ、それからホンビノス。これもやっぱり行徳の漁師に言われて始めたんだけど、足りなくなっちゃった。江戸前のハマグリは若干あるかなぁ」
さらに、江戸前そのものの基盤も変わっている。
「うちは大正時代からやってるの。戦前は江東区の住吉、戦後にココ。人形町に移ってきたんですけどね。僕が子どものころは、1階が工場、2階が住まい。昔だから住み込みの人がいっぱいいてねぇ。でね、なんでうちが海苔のつくだ煮を始めたかっていったら、漁師が持ち込んできたからよ。昔は天日干しだから、雨が続くと商品にならないでしょ。それでつくだ煮にしちゃえば日持ちする、っていう流れがあったんだけど……昭和43年だったかな。都が保障して、海苔の漁業放棄をさせたのよ。だから、東京都には海苔の漁師はひとりもいないわけ。現実的には。千葉と神奈川側にしかいないっていうのが現状ね」
海苔に焦点をあてれば、かつて東京の漁師と町場でつながっていた供給の関係は、すでに途切れている。
「僕の代で江戸前をやろうと思って動き出したけど、それ以前は伊勢湾のアオサを入札で買うのが普通だった。みんなそう。でも、生まれも育ちも日本橋なのに、なんで江戸前がないのかなと思ったんだよ」
これが江戸前ブランドの海苔のつくだ煮を手がけるきっかけで、40年ほど前のこと。当時は成立していた。
「うちは海苔がメインだったから、まず海苔をやろうと。(千葉県)木更津のすごくいい漁師さんと知り合ってね。生海苔を分けてくれたの。そこで秤と箱と現金持って行って、1日700キロぐらい買って帰ってきたもんですよ。そのころは、全然採れたからね」
それを、直火の釜で炊き、つくだ煮にしていく。
「直火の釜だけは僕、残そうと思っているんですよ。いまは蒸気釜を使ってるところがほとんどだけど、それだと100℃までしか上がらないんだな。でも、直火の釜だと火力が強くて200℃以上になる。直火で焦げる寸前まで煮ると、しょう油の香ばしさも立ってふっくら美味しく炊けるんだよ」
しかし、心意気はあっても、前提は年々崩れていった。
「いまはもう生海苔はないね」
原料は、すぐ手に入るものではなく、頻繁につなぎ直すべき対象になっている。消えたのは江戸前そのものではなく、東京の海と街場で完結していた供給の関係だ。
こうした状況でも、商売は続く。売上を維持し、従業員に給料を支払うためには、さまざまな手を打つ必要がある。そのひとつが、材料そのものの転換だ。
「うちで一番売れてるのは、農産物で国産の味付けザーサイ。去年は生のザーサイを25トンまで買ったくらい売れましたね。昔はね、中国から甕で入ってきてた塩漬けを味つけしたりスライスしたりしてうちでリパック。中華材料屋さんに出してたの。それが結構な手間賃ももらえたから、100トンぐらいやってましたね」
海のものに限らず、「加工できるもの」を扱う。そのため、漁業関係者からは、こんな相談も受けるという。
「最近面白かったのは、逗子の漁師さんからタコがいっぱい獲れたからなんとかしてくれという依頼。それで、タコ飯の素を作ったのよ。試作品を作ったら、漁師さんも美味しいとなって、うちは商売になったね」
試作を作る工場長は実弟。大量の生産や素材により蒸気釜を使用する時もあるが、直火では素材や気温など条件による差異を調整する感覚が必要。一長一短では身につかない、直火の釜の製造技術があるベテランだ。
「的を射た商品を作れるんだよね。実は、僕らの仕事で多いのは、商品を作ってくれという依頼。それを工場長はだいたい1回、3時間くらいで完成させる」

加工業は、原料に依存するのではなく、原料に別の価値を与える装置として機能しているのだ。さらに、品質の基盤は、こだわりの調味料だという。
「しょう油もね、国産の大豆と小麦と塩だけで、1年とか2年発酵させてる昔ながらのもの。その点は真面目に。無添加で海のものを使ってつくだ煮を作ってると言ってるからにはね。もちろんコストはかかりますよ」
その選択は、単なる“こだわり”ではない。海苔をはじめ海産物のつくだ煮の原料調達が不安定ななかで、味の基準をどこに置くのか。その基準を、外さないための判断である。仕入れが変わり、素材が変わっても、最終的な味を成立させる軸は動かさない。
これが成立しているのは、加工という構造そのものが、変化する素材を受け止め、商品として成立させているからだ。佃煮が残っているのは、資源があるからではない。資源がなくても成立する構造を、業者が持っているからだ。
海苔や二枚貝などの仕入れが常に組み換えられている現場の変化は、ほとんど認識されていない。消費者が見ているのは商品であって、その成立条件ではないからだ。そして、クロマグロの漁獲制限、ウナギのレッドリスト入り、サンマの価格のようにニュースで大きく取り上げないため、知られる機会も限られている。
「だって消費者の方はさ、コンビニで延々と何でも買えると思ってるから。それに僕はすごく危機感を持っていますよ。たとえば、中国が食料を輸出しないと言ったら大変な問題になる。人口が増えている開発途上国が裕福になってくれば、日本に輸出しなくていいという話にもなるでしょう。そうしたら日本人は食えなくなっちゃう。だから、いろんな形で国産を食べるように話をするし、江戸前の話もする」
儲けよりも前に「江戸前で作る」熱意があり、その延長線上で海苔のつくだ煮が売れた。その流れを作ってきた宮島社長の商売と、仕入れ先が変わっても調達を続けるパワフルさが、それを支えてきた。
「最近、海苔の仕入先を変えざるを得なかったんだけど、明日はそこに行くんだよ。トラックで海苔を取りに行って、その次の日はザーサイ取りに行って、満載で帰ってくる」
だから、商品はいつもと同じように店頭に並ぶ。しかし、その裏側で、原料の調達条件は絶えず組み換えられている。たとえば、コンビニのおにぎりの人気上位に昆布(つくだ煮)で、海苔、昆布などのつくだ煮を置かないスーパーは少数だろう。それら加工品が海の幸であることは、どこまで意識されているのか。
「つくだ煮はみんな食べるんだよね。でも、海のものって認識は薄いと思うよ。加工品になると切り離されちゃう。それでも、つくだ煮そのものは無くならないと思う。年とってくると、ごはんと食べたくなるよ。作っててなんだけど、僕も昔より食べるようになってね。味噌汁に試食で余った海苔のつくだ煮と入れて食べると、なんか美味しいんだよ。でもさ、このままだと商品より前に業者がなくなっていくと思う」
日常食だったつくだ煮の未来は、材料のみならず業者の体力勝負。2025年には後継者不在や経営不振、材料調達の不安定化に加え、コロナ禍で落ち込んだ観光需要から回復できないまま、創業100年を超える老舗を含め、つくだ煮や水産加工業の廃業や倒産が相次いでいる。
「うちは多分、一番特徴がある売り方してると思うんだよね。無添加とか、国産とかを調味料までやってる業者はいないから。安いもんを作る必要はないでしょ。いいもんを作って、買われる商品として選ばれればいい。それに、全国に売ろうとも思ってないんだよね。ファンを増やせばいいんですよ」
量ではなく、選ばれる関係をつくることが、生き残りの条件になっている。遠忠食品のつくだ煮商品は売上が伸びているそうだが、背景には材料調達の多様化、コツコツとマルシェに出店した販路の改革などがある。
「マルシェで試食を食べたお客さんが『美味しい』と言ってくれたことは、嬉しかったし、作っても良いんだという自信にもなったよね。あと、自社の1階に無添加や国産の野菜をはじめとした生鮮食品を中心にうちの商品も置くスーパーを作ったんです。自炊が増えたコロナ禍にお客さんが増えてね。ベビーカー連れのお客さんも多い。健康食品やヘルシーなものを値段が高くても買うようになったんですよ」時代の需要の形も変わりつつある。

佃煮は、保存のための技術として生まれた。昭和の時代は、ごはんとセットで日常にあるものだったが、いま、その役割は変わっているのだろう。その役割とは「食を成立させる構造」である。しかし、その構造は見えない。
「海のものを食べてるってことぐらいね、分かってもらってもいいのかなって思うよね」
海のものは、どこで、どのように食べ物になっているのか。
遠忠食品株式会社 代表取締役
『メイドイン東京の会』会長